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荘内日報ニュース


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2010年(平成22年) 1月7日(木)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と ―37―

薬剤師あきらめあばに

食うため夢を断念

 鶴岡市由良の山形県漁協由良支所の浜市場。400メートルほど離れた所で鮮魚店「佐倉商店」を営む佐藤倉子さん(79)は、午後4時すぎに姿を見せた。市場の床には、箱に入れられた魚がずらりと並んでいる。佐藤さんの視線が多種多様な魚に向けられる。今日何を仕入れるか、品定めしているのだ。

 佐藤さんが行商の道に入ったのは、終戦で樺太(サハリン)から引き揚げてきた18歳の時。母親が行商を始めたこともあり、「カエルの子はカエルになってしまった」と、穏やかな口調で話す。

 「若い娘だからといって、行商をすることに、嫌とか恥ずかしいとか、気にしているどごでねっけ、とにかく食べでいがねばならねがっだし」。ほかに仕事がなかったせいもあるが、人目を気にかけている余裕などなかった。しかし、本当のところは決心するまでには心の中で泣いたこともある。

 樺太で通っていた女学校時代、薬剤師になることを夢見て勉強していたからだ。

マントに魚隠し

 着の身着のままで由良に引き揚げてきたが、母親の実家で船を持っていたことが唯一の幸いだった。魚を仕入れ、三瀬駅から鶴岡市三日町や十日町(ともに現・本町など)の魚屋に卸す魚を運んだ。

 冬の行商について佐藤さんは、「船が出て漁があった日に雪が積もっていると、あばの夫や仲買人が総出で、山道の雪かきをし、重い魚を背負って歩くあばのための道づくりをした」と話す。今の国道7号はなく、由良港から海沿いを通る旧道の坂道を、あばたちは一番列車に間に合うようにと、約3・5キロの道を三瀬駅へと急いだ。

 佐藤さんによると、イワシなどの大衆魚は統制品扱いになっていたが、「赤物」と呼ばれるタイ、エビ、カニなどは統制品外で、おおっぴらに売ることができた。しかし、こうした魚類は需要も少なく、生活のためには統制品を闇で売らねばならなかった。

 食料難から闇物資が横行していた時代。佐藤さんも、「マントの中さ魚隠して、手提げを持って汽車に乗ったもんだ。18(歳)やそこらでそんな格好をしていると、洋裁学校にでも通っているように見えたから」、と。

 当時、洋裁学校に通っている娘さんが結構いた。似た服装にしたのは、警察の取り締まりから逃れるためだったが、心の底にはかつて薬剤師を目指したことで、「自分も学校に通いたい」との気持ちがあったから。が、「今日食べるものにも事欠く毎日に、あきらめるしかながったなや」と話す。小学校時代の同級生には、師範学校に進んだ人もいた。

警察に没収される

 戦後の混乱がやや落ち着いたころ、父・豊蔵さんと母・房英さんは、イワシやサメなどを三瀬駅から貨車で宮城県・塩釜への出荷を始める。佐藤さんも鶴岡市だけでなく、新潟市方面までかまぼこの原料の魚を運んだ。

 坂町駅(新潟県)では、改札口を出たところで警察に見つかったことがある。統制品だった「コアミ」を持っていたため没収されたが、「あのコアミはどさ行ったもんだろの。今でも分がらね」。60年来の疑問である。

(論説委員・粕谷昭二)

競りは真剣勝負。カギ棒が置かれた魚に鋭い視線をやる佐藤さん(中央)(左) いざ行商へ。自宅隣の冷蔵庫から使い慣れたリヤカーに魚箱を積み込む佐藤さん
競りは真剣勝負。カギ棒が置かれた魚に鋭い視線をやる佐藤さん(中央)(左) いざ行商へ。自宅隣の冷蔵庫から使い慣れたリヤカーに魚箱を積み込む佐藤さん


2010年(平成22年) 1月7日(木)付紙面より

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枝たたきつけ災厄払う 酒田市市条八幡神社 伝統神事「鬼遣らい」

 酒田市市条の八幡神社に古来から続く神事「鬼遣(おにや)らい」が6日早朝、同神社拝殿で行われた。氏子が三々五々訪れ、独特の掛け声とともに「ねじり木」と呼ばれるケヤキの枝を先端が割れるまで床にたたきつけ、今年1年の災厄を払った。

 鬼遣らいは、同日に同神社で行われる追儺(ついな)祭の行事の1つとして伝わる神事。農民が身を守る武具を作る姿が転じたものとされ、江戸時代中期の宝暦年間(1750―64年)から250年余りも続いている。

 この日は、同神社境内に篝火(かがりび)がたかれる中、日の出前の午前6時ごろから、ケヤキの先端を20センチほど折り返した長さ約1メートルのねじり木を手にした氏子たちが拝殿を訪れた。

 拝殿の床に正座した氏子たちは、「ヤッセーガダガダ」という独特の掛け声とともに、頭上に振りかざしたねじり木を勢いよく床にたたきつけた。拝殿には「バン、バン」という音が響き渡り、ねじり木は30分ほどで木の皮が飛び散りボロボロになった。

 ボロボロになったねじり木は厄よけとして玄関先に飾られるという。

独特の掛け声でねじり木をたたきつけた
独特の掛け声でねじり木をたたきつけた


2010年(平成22年) 1月7日(木)付紙面より

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冷水我慢し願掛け 酒田・飛鳥神社「裸参り」

 酒田市飛鳥の飛鳥神社で5日夜、「裸参り」が行われ、地元の児童らが冷水を浴びて参拝し五穀豊穣(ほうじょう)、無病息災などを願った。

 裸参りは、同神社の松例祭に参加する「松若勢(まつわかぜ)」と年男が、その前日に心身を清めるため川に入ったのが始まりとされている。一時中断していたが、1977年に旧平田町の町おこしグループ「飛鳥の行事を楽しくする会」が復活させ、その後は同神社の氏子が中心となって続けている。

 今年は小学生から40歳代までの男性20人が参加。午後6時半すぎから神社本殿で祈とうを受けた後、下帯姿で「ワッショイ、ワッショイ」と声を掛けながら近くの仁王堂の周囲を1周。堂前の「お清め場」で冷水を浴びた。

 この日はみぞれと暴風がたたきつけ、水は氷のような冷たさ。参加者は肩口に水を掛けられると、拳を握り締め歯を食いしばって我慢。水を浴びるたびに体は赤みを増していった。本殿を参拝し、再びお清め場で冷水を浴びることを3回繰り返した。

 阿蘇拓矢君(南平田小5年)は「寒かった。剣道が上手になるようにとお願いした。今年の目標は全国大会に行くこと。いっぱい頑張りたい」と話していた。

「ウワッ」―。お清め場で冷水を浴びる児童たち
「ウワッ」―。お清め場で冷水を浴びる児童たち



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