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荘内日報ニュース


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2012年(平成24年) 11月13日(火)付紙面より

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「一日一日を大切に」 東平田小学校最後の創立記念 福祉施設へ車いす贈呈

 北平田、中平田両小学校と統合し来春、「平田小学校」として生まれ変わる酒田市の東平田小学校(荘司秀明校長、児童68人)で11日、最後の創立記念式典が行われ、児童代表は同校の歴史を述べた上で、「これからも一日一日を大切に生活していきたい」と誓った。一方、同校児童会は同日、同市関のデイサービスセンター「あずま」(堀由美子施設長)に車いす3台を寄贈した。

 同校は1878年11月11日、「朝穎(ちょうえい)学校」として現在地で創立。同校の流れをくむ生石尋常高等小学校と、関尋常小学校が合併し1941年、東平田国民学校となり、東平田村立東平田小学校を経て54年の市町村合併により酒田市立となった。

 この日は134回目の「誕生日」。全校児童と保護者、地域住民ら約150人が出席した。校歌、58年の校歌制定以前に創立記念日をはじめ入学式、卒業式など同校の式典の中で歌われてきたという「創立記念日の歌」を全員で斉唱した後、荘司校長が「児童の元気なあいさつ、地域の人たちの温かいまなざしは今も昔も変わらない。地域の皆さんはこれからも『大先輩』として児童たちを導いてほしい」と式辞を述べた。

 同校校友会の佐藤弘顧問の祝辞に続き、児童を代表し6年の小松陽さんが「この学校で過ごす一日一日、いろいろな行事全てが、最後の一日、最後の行事になってしまう。東平田小最後の卒業生として胸を張って卒業できるよう、これからも一日一日を大切に生活していきたい」と語った。

 引き続き、車いすの贈呈式が行われた。地域住民にも協力を求めながら同校児童会は牛乳パックを収集。古紙業者に買い取ってもらい、その代金を資金に購入したもの。式典出席者が見守る中、いずれも6年で児童会プロジェクト委員会の森山幸香さん、大井幹士君の2人が堀施設長らに車いす3台を手渡した。

 堀施設長は「大事に、大事に活用したい。地域に貢献したいという皆さんの誠実な気持ちがうれしい」とお礼。森山さんは「この車いすでセンター利用者から楽しく過ごしてもらえたら」、大井君は「利用してもらっていると思うだけでうれしい」とそれぞれ話していた。

車いすを贈る森山さん(左から2人目)と大井君(同3人目)。左は堀施設長
車いすを贈る森山さん(左から2人目)と大井君(同3人目)。左は堀施設長


2012年(平成24年) 11月13日(火)付紙面より

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「遊佐カレー」全国へ発信

 遊佐町と遊佐ブランド推進協議会(会長・時田博機町長)が主催した鳥海山カレーサミット「東北カレーシンポジウムin遊佐」が11日、同町の鳥海温泉「遊楽里」などで開かれた。講演やパネル討議、カレーの食べ比べなどを通し、町民らがカレーについて考察するとともに、遊佐から全国に向けてカレー文化を発信した。

 同協議会は2010年、「遊佐カレー開発プロジェクト」と銘打ち、地元産の農産物をできる限り用いることを目標にしたカレールーの開発に着手。同プロジェクトには町内の生産者や飲食店関係者、町職員、一般町民が参加。カレーの基礎知識や試作、研修などを重ね今年7月、「大人も好む甘口」仕立てのカレールー「鳥海山の恵みをいただくカレールウ」が誕生した。

 今回のシンポジウムは、「ご当地カレー不毛の地“東北”に華(はな)を咲かせる」がテーマ。新開発した「遊佐のカレールー」を全国に向けて発信するとともに、東北地方でカレーによる地域おこしの口火を切ろうと初めて企画した。

 この日は最初、カレーコンサルティング業「カレー総合研究所」(東京都新宿区)の井上岳久社長、鳥取市の鳥取カレー研究所広報部長を務める植田英樹さんがそれぞれ講演した。

 植田さんは、2005年に設立された市民団体「鳥取カレー倶楽部(くらぶ)」の活動内容を説明した上で、「『これは楽しい』『これは自慢できる』というものをつくり出して広げていく。それが地域をつくるということ」と語った。そして、「地域ブランド」誕生の要素として▽地域の当たり前の発見▽地域との必然性▽常に動ける仲間の獲得―などを挙げ、「鳥取はカレーで市民が元気になっている。遊佐ならではのスタイルを確立してほしい」とアドバイスした。

 引き続き、井上社長のコーディネートで、時田町長、「遊佐のカレールー」を製造・販売している「ゆざ食彩工房」の広瀬順一社長、同プロジェクトメンバーの伊原ひとみさんらがパネル討議。遊楽里に隣接する「とりみ亭」では昼食時、全国の「ご当地カレー」を食べ比べするカレーバイキングも開かれ、家族連れらでにぎわった。

家族連れらでにぎわったカレーバイキング=とりみ亭
家族連れらでにぎわったカレーバイキング=とりみ亭


2012年(平成24年) 11月13日(火)付紙面より

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森の時間58 ―山形大学農学部からみなさんへ―

あのイケメンはニセアカシアを真似て泣いたのか 小山 浩正

 慶長5年、信州上田に城を構える真田昌幸は深い悩みの中にありました。豊臣と徳川の確執はもはや修復しがたく、天下分け目の激突は必至。竜虎の狭間で真田家を存続させるにはどちらに味方すべきか。戦乱を生き抜いたこの知将が下した結論は実に老獪でした。自分は次男の幸村と豊臣方に与しておいて、嫡子の信幸には徳川方につくよう命じたのです。結果、昌幸の思惑どおりに真田家はこの信幸の家系が大名として幕末まで続きます。

 どっちが有利か選択に迷う時、ひとつに決めずに双方へ賭けておくのは、狡猾だけれど賢いやり方です。生物の世界では『両賭け戦略』と呼ばれています。蝶や蛾の仲間には一カ所に卵を産み付けるのでなく、二つ以上の植物に分けて産卵するものがいます。ひとつの植物だけに依存してそれが何かの拍子で死んでしまえば自分の子供も全滅するので、両賭けで保険をかけているのです。投資家が複数の金融商品に分散して託すのと同じで、欧米ではこれを「ひとつのカゴに卵を全部入れてはいけない」と教えます。不慮の事態に備えて大切なモノは小分けにすべきという格言で、生態学でも使われる常套句です。

 私たちの身近にいる両賭けのエキスパートは北米から来たニセアカシアというマメ科の木。いま日本各地で勝手に蔓延し、手がつけられなくなっています。もちろん、庄内でも問題になっているので以前からこの木の種子を調べてみようと思っていました。もっとも当初は、ほかのマメの仲間と同じで、その種子は直ぐには発芽せずに何年も眠るものと信じていました。だから、当時3年生だったある学生にもそのまま渡して発芽を観察するよう指示したのです。どうせ発芽しないから、そこから卒論の題材として色々考えさせるつもりだったわけです。ところが数日後に「半分くらい発芽しています」と言うのです。「バカな!何か変なことしただろ」。「むっ、何もしていませんよぉ」。

 確かにその後、何度繰り返しても同じ結果になりました。つまり、ニセアカシアの種子には何年も眠るタイプのほかに直ぐ発芽するタイプがあることが分かったのです。そう、これも両賭け戦略です。種子の行く先がどんな環境なのかニセアカシアに分かるはずがありません。そんな状況では異なるタイプの種子を持つのが有利です。もし良い場所に着いたなら直ぐに発芽するタイプが芽生えれば良いし、不適な場所ならもう一方のタイプが眠りながら環境の好転を待てば良いのです。両方に賭けておけばどちらに転んでも滅亡はない。真田がひねり出した処世術をこの木はとっくに知っていたわけです。かくのごとく植物の生き様には大いに学ぶべきモノがあります。でも、少し前にイケメン俳優が痛い目に遭っているので、『恋の両賭け』だけはやめたほうがいいみたいですよ…くわばら・くわばら。

(山形大学農学部教授 専門はブナ林をはじめとする生態学)

「ニセアカシアの鞘」酒田市十里塚にて=自然写真家・斎藤政広(2012年10月17日撮影)
「ニセアカシアの鞘」酒田市十里塚にて=自然写真家・斎藤政広(2012年10月17日撮影)



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