2014年(平成26年) 4月29日(火)付紙面より
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鶴岡市陽光町の住民による「旧四小の思い出を語る集い」が27日、鶴岡市立朝暘第四小学校の旧校舎体育館で行われた。陽光町から同市柳田へ移転した新朝四小の門出を祝うとともに、旧校舎へ「ご苦労さま」とねぎらいの言葉を掛けた。
同町内の鍛冶町、幸友会、八日町の3町内会の有志が実行委員会(委員長・日向常浩鍛冶町町内会長)をつくり企画。各町内会の役員と住民、来賓など合わせて約90人が出席した。
初めに日向委員長が「大正末期から昭和初期にかけて、放課後などに子供たちの勉強会が開かれたという記録が鍛冶町公民館に残っている。陽光町との関わりは100年以上にわたり続いており、朝四小は私たちの心の古里。新しい学校でも児童たちが元気に育つことを願いたい」とあいさつ。
「暁かおる…」で始まる朝四小の第3校歌を全員で斉唱した後、旧朝四小の第30代校長で新朝四小初代校長の矢口研一さんが「児童たちが姿を消した旧校舎は学校ではないと思うと寂しさが募る。朝四、湯田川、田川の3小学校の思いを大切にし、地域の皆さんとの関わりを大切にしながら新四小でも頑張りたい」、第21代校長の後藤輝夫さんが「1988年から3年間、朝四小に校長として赴任している間、心を育てる教育としてボランティア実践を行った。子供たちのやる気を引き出すにはサポートの力が教員にも地域にも必要。学校だけでなく地域に育まれて子供たちは成長する」とそれぞれ講話した。
その後、八日町町内会の酒井茂樹さん(53)=1973年卒=が「小学生時代を振り返ると、1クラス40人ほどで1学年約200人、学校全体なら現在の2倍以上に当たる1200人の児童がいた。学校と生活が一体となっており、旧校舎がなくなるのは寂しい」と思い出を語った。
祝舞として地元住民の仕舞「鶴亀」や、陽光町内の小学5、6年生4人による舞踊「暁薫らん」が披露された後、懇親会が開かれた。各町内会のメンバーが大黒舞や歌、剣舞などをステージで発表し、役目を終えた旧校舎をねぎらった。
2014年(平成26年) 4月29日(火)付紙面より
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酒田市飛鳥の飛鳥神社で27日、伝統の神事「飛鳥湯立神楽」(市指定無形民俗文化財)が行われ、12個の鉄鍋でお湯を沸かして今年の豊凶などを占うとともに、数々の舞を奉納し、五穀豊穣(ほうじょう)、家内安全を願った。
同神社の祈年祭「湯ノ花神事」で奉納しているもの。社記によると、江戸時代初期の1622(元和8)年には行われていた記録があり、それ以前から伝わっているとみられる。12個の鉄鍋「湯釜(ゆがま)」は1年の12カ月を意味し、湯気の立ち方から各月の豊凶や吉凶を占うとされる。うるう月で1年が13カ月あった旧暦の名残で、うるう年には湯釜は13個に増える。
長さ5メートルの棒に湯釜を12個ぶら下げた斎場を社殿前に設営。神官が特設舞台で「道告(みちつげ)」「三合舞」「恵比寿舞」などの舞を次々に披露した後、水を張った湯釜の下から氏子たちが豆殻で火をたき、湯を沸かした。巫女(みこ)がクマザサの束で湯をかき混ぜるようなしぐさをし、特設舞台で神々しく舞うと、地域住民たちは豊作を願って静かに見入っていた。