文字サイズ変更



  • プリント用表示
  • 通常画面表示

荘内日報ニュース


日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ
  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る

2022年(令和4年) 3月29日(火)付紙面より

ツイート

「酒田県」設置と明治政府 鶴岡郷土史講座 門松公益大准教授が解説

 鶴岡市郷土資料館の郷土史講座が26日、市立図書館で開かれ、東北公益文科大の門松秀樹准教授が「『酒田県』の設置と明治政府」と題して講演した。明治維新直後に庄内藩の一部などを管轄した新政府の「第1次酒田県」について、「民衆の強い反発などで新政府は統治に失敗したが、これは第1次酒田県特有の問題としてではなく、近代化をめぐる政府内の路線対立など維新後の地方統治をめぐる問題の一つの事例として俯瞰(ふかん)的に捉える必要がある」と述べた。

 第1次酒田県は、1868(慶応4・明治元)年9月の庄内藩による戊辰戦争降伏により、政府が庄内藩領の酒田など最上川北部3郡を没収して政府直轄地を管轄する機関として69年に設置された。税負担の増大に反発した農民による反乱「天狗騒動」などもあり、酒田の経済力を握ろうとした統治は破綻した。

 門松准教授は、当時の新政府内にあった維新後の「近代化」に対する木戸孝允や大隈重信を中心とする「急進派」と、西郷隆盛や大久保利通ら急激な改革に否定的だった「漸進派」による路線対立が背景にあったと指摘。優勢だった急進派は政府の財政基盤強化を狙い、内政を管轄する民部省と財政を管轄する大蔵省を合併した。だが、公家出身で第1次酒田県の知事だった大原重実は知事としての地方官が「徴税官」を担うことに批判的な立場を取るなど、同様の考えを持つ地方官が多くいたことなどを挙げた。

 門松准教授は「大原は父を通じて岩倉具視に宛てた意見書で、庄内藩酒井家の統治を評価していた。政府の方針とは異なるとしても、旧慣を尊重した方が、より円滑な統治が可能ではないかと考えていた」と解説。こうしたことが、旧庄内藩重臣による「第2次酒田県」の実質的な統治につながったとした。

 郷土史講座は庄内の幕末維新史をテーマに開催。門松准教授は日本政治史などが専門で、昨年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」で時代考証を担当。講座には市民約50人が参加した。27日には岩立将史中央大文

学部兼任講師が「薩摩藩邸焼き討ち事件とその関係者の評価」と題して講演した。

戊辰戦争直後の「第1次酒田県」と明治政府の関連について講演した門松准教授=26日、鶴岡市立図書館
戊辰戦争直後の「第1次酒田県」と明治政府の関連について講演した門松准教授=26日、鶴岡市立図書館



日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ

記事の検索

■ 発行月による検索
年  月 

※年・月を指定し移動ボタンをクリックしてください。
※2005年4月分より検索可能です。

 
■ キーワードによる検索
   

※お探しのキーワードを入力し「検索」ボタンをクリックしてください。
※複数のキーワードを指定する場合は半角スペースを空けてください。

  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る
ページの先頭へ

Loading news. please wait...

株式会社 荘内日報社   本社:〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町8-29  (私書箱専用〒997-8691) TEL 0235-22-1480
System construction by S-Field