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2023年(令和5年) 1月1日(日)付紙面より

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あけましておめでとうございます

新年のごあいさつ
天賦の国の「致道館」
荘内日報社社長  橋本 政之

 作家の司馬遼太郎氏は1971(昭和46)年から25年間にわたり「週刊朝日」に連載した紀行「街道をゆく」で、北海道から沖縄まで日本各地を歩いたが、庄内を訪れることはなかった。ただ1986(同61)年に象潟まで来た紀行で「庄内」の地勢的、歴史的な特性を司馬流に言い当てている。
 同シリーズ「秋田県散歩」のはじめに「東北の一印象」として歴史上の人物評など連ねた中で、「気になる土地がある。庄内(しょうない)である」との書き出しで始まる。
 「都市の名でいえば、鶴岡市と酒田市になる。旧藩でいえば庄内藩(酒井家十七万石)の領地である。ここは、他の山形県とも、東北一般とも、気風や文化を異にしている。庄内は東北だったろうか、ときに考えこんでしまうことがある。最上川の沖積平野がひろいというだけでなく、さらには対馬暖流のために温暖であるというだけではなく、文化や経済の上で重要な江戸期の日本海交易のために、上方(かみがた)文化の滲透度が高かった。その上、有力な譜代藩であるため江戸文化を精密にうけている上に、東北特有の封建身分制の意識もつよい」とし、「いわば上方、江戸、東北という三つの潮目(しおめ)になるというめずらしい場所だけに、人智の点だけでいっても、その発達がきわだっている」と評した。
 今月8日から放送予定のNHK大河ドラマ「どうする家康」に、徳川家康を支える三河家臣団のまとめ役として「酒井左衛門尉忠次(さかいさえもんのじょうただつぐ)」が登場する。庄内藩主酒井家初代の酒井忠次(ただつぐ)公(1527?1596年)がモデルだ。個性派俳優の大森南朋さんが演じる。
 家康より15歳年上の忠次公は「徳川四天王筆頭」と称された。没後は京都・知恩院内先求院(せんぐいん)に葬られ、生前は庄内と直接の縁はなかった。孫の3代<忠勝(ただかつ)公(1594?1647年)が元和8(1622)年、譜代大名としては最北の地の庄内へ入部。以来、酒井家は明治の版籍奉還後も住まう。
 現代まで代々を弔う酒井家墓所(鶴岡市家中新町)には、2代家次(いえつぐ)公(1564?1618年)、3代忠勝公と並んで忠次公の墓石が建っている。経緯は不詳。また明治期に先の3代までをご祭神として鶴ケ岡城本丸址に荘内神社が創建された。大正期には9代忠徳(ただあり)公(1755?1812年)が合祀され今は酒井家4代を祀る。
 酒井家伝来の文化財などを収蔵・展示する致道博物館は昨春、庄内入部400年記念事業の一つとして忠次公から15代忠篤(ただずみ)公(1853?1915年)まで歴代の事績をまとめた唯一の歴史書「酒井家世紀」(三好廉編著、明治43年)の活字本を刊行した。序文で館長の酒井忠久氏(76)は400年前のエピソードを紹介している。
 信濃国松代を領していた忠勝公は転封の幕命を受けると、家臣の角田儀右衛門を密かに庄内へ派遣し土地柄や城地を調べさせた。山伏姿で探り歩いた調書は「北には鳥海山が雲外に秀で、西を望めば蒼海限りなく、東・南には出羽三山などの山々が連なり、いわゆる天賦(てんぷ)の国”である」と絶賛している。
 忠久氏はこのエピソードを「おそらく、この庄内の地に生まれ育ち、亡くなっていった先人たちも、今現在を生きる我々も、この角田の評価に疑問をもつ者はいないでしょう。豊かな自然は多くの恵みをもたらし、優れた感性を養わせてくれます。今も昔も、そしてこれからも、この庄内の地の素晴らしさは不変であり続けるでしょう」と結んでいる。
 「上方、江戸、東北という三つの潮目」にある「天賦の国」庄内に来春、県内2例目の併設型中高一貫校が新設される。校名は「致道館」。「酒井家中興の名君」と称えられる9代忠徳公が、藩政を担う人材育成、退廃した士風刷新を目的に1805(文化2)年に創設した庄内藩校の名だ。
 現在の鶴岡北高を「県立致道館中学校」、鶴岡南高を北高と統合する「県立致道館高校」の校舎にそれぞれ改修する。十数年前、講演で鶴岡を訪れた徳川宗家18代徳川恒孝氏から「せっかく往時の藩校が現存しているのに、学校の名前に使わないのはもったいない」と言われたことがある。
 藩校致道館の学制は今の小学生にあたる「句読所(くとうしょ)」に始まり5段階に分かれ、最上級「舎生(しゃせい)」は大学の学部・大学院に相当する。言わば小中高校から大学までの一貫教育ということになる。
 現代の「舎生」に相当する東北公益文科大学は、県と庄内2市3町(当時は14市町村)が「公設民営方式」で設立し、庄内唯一の4年制私立大学として2001年に開学した。同じころに同方式で各地方都市にできた大学のほとんどが、すでに「公立」に移行した共通の要因は少子化。厚生労働省が昨年末に発表した人口動態統計(速報値)によると、年間出生数の概数が80万人を初めて割る見通しで1年間に生まれた赤ちゃんの数が統計開始以来最少となり、想定を超えるペースで少子化が進んでいるという。
 公益大は開学間もなくから定員割れが続いた。県トップが交代し、それまで副知事が就いていた理事長に県の要請で就任した新田嘉一氏(89)=平田牧場グループ会長=は10年前から大学改革に取り組み、昨春まで6年連続で定員を超える入学者を確保した。
 「この大学を残し今後も健全に発展させることは、庄内5市町と山形県が庄内全体、山形県全体を豊かにすること、ととらえてほしい。大学を残せる地域が生き残れるし、残せない地域は衰退する。心を一つにして取り組んでほしい」と語る新田理事長は、定員確保後の課題として、数年前から「公立化」を宿願とする。県は本年度、公立化と機能強化の方向性を取りまとめる具体的な作業を始めた。
 「人材が地域の最大の財産」という新田理事長は「人智の発達がきわだつ庄内」の学びを継承し、コロナ禍など歴史的困難が続く時代の要請に応えられる人材育成に向け、態勢が整う年になることを願っている。
     ◇
 新年明けましておめでとうございます。荘内日報は「庄内はひとつ」を創刊の理念に1946(昭和21)年、前身の「荘内自由新聞」の週刊発行に始まり、「時代をつなぎ、地域をつなぎ、心をつなぐ」を郷土紙の使命としております。本年も変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

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2023年(令和5年) 1月1日(日)付紙面より

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鶴岡市西目で土砂崩れ 約10棟被害 高齢夫婦2人と連絡取れず

 31日午前1時ごろ、鶴岡市西目で、「道路脇の建物が倒壊している」と通行人から110番通報があった。鶴岡署や市消防本部などによると、集落の裏山で幅約100メートル、高さ20?30メートルにわたって土砂崩れが起き、住宅など約10棟が巻き込まれたとみられる。

 これまでに現場周辺から70代男性と60代女性の2人が救助され、市立荘内病院に搬送された。2人とも命に別状はない。

 一方、80代男性と70代女性の夫婦2人と連絡が取れていない。鶴岡市は人命救助のため県を通じて陸上自衛隊に災害派遣を要請し、同日午前から警察と消防、自衛隊など100人超の態勢で捜索を続けている。

 鶴岡市は同日午前6時43分、現場周辺の西目字齋藤の集落8世帯22人に避難指示を発令。避難所となっている金山公民館には、これまでに合わせて14人が避難。親類宅に避難した世帯もある。現場周辺は「土砂災害警戒区域」に指定されている

家屋など約10棟が巻き込まれた鶴岡市西目の土砂崩れ現場=31日午前7時過ぎ
家屋など約10棟が巻き込まれた鶴岡市西目の土砂崩れ現場=31日午前7時過ぎ

裏山の土砂が崩れ、倒壊した建物=31日午前7時過ぎ
裏山の土砂が崩れ、倒壊した建物=31日午前7時過ぎ



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