2023年(令和5年) 8月15日(火)付紙面より
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イタリアで学んだ経験や技術を生かし、地金の製造から仕上げまで一貫して貴金属品の製造・販売を行う庄内町のアトリエ「r23atelier88(アールニジュウサンアトリエハチジュウハチ)」を経営する新進気鋭のジュエリーデザイナー・阿部竜さん(45)。妻の絢さん(45)と共に制作に懸ける思いや今後の展望について話を伺った。
―経歴について
1978年旧余目町生まれ。長岡造形大学では建築を学びました。建築を勉強する一方で、工芸金属コースにも興味を持ち、金属を操る鋳造技術に魅力を感じました。簡単な原型を自分で作って金属にするのが楽しかったです。3年生の頃にはアクセサリーを自作してデザインフェスタに出店しました。少ししか売れませんでしたが、お客さんの反応が良く、とてもうれしかったのを覚えています。
―この道に進んだきっかけは
一番大きかったのは、建築の仕事は1人ではできませんが、金属加工はデザインや形など1人で最後までできるかなと思ったことでした。卒業後は東京の工房に就職。任された仕事はできるようになりましたが、それは金属加工の技術の中では狭いもの。当初から独立を考えていたこともあり、もっと高い技術を学ぶためイタリア・フィレンツェの職人学校に入学しました。25歳の時です。ここでは石留めや透かし、彫金の技法を学びました。翌年にはミラノのヨーロッパ・デザイン学院(IstitutoEuropeo diDesign・略称IED)に進み、3年課程でジュエリーデザインについての重要な知識と技術を学びました。自分の気になる文様や技法などは先生の帰りに同行して電車の中でも教わっていましたね。IED卒業後は同校実技教師が興した工房を手伝いながら貴金属のデザインやリフォームなどを行う職人として腕を磨きました。
―日本に帰国したのは
2011年に帰国しました。これまでは職人仲間に相談することができたのですが、日本に帰れば1人でやっていかなければいけません。本当にやっていけるのか再確認のため、帰国1年前に
改めてイタリアで学んだ技術を勉強し直しました。
―帰国後の活動について
準備期間を経て12年8月にアトリエを開きました。とはいえ、機械の使い方など自分なりのやり方に落とし込むまでに時間がかかり、納得できる商品ができたのは翌年からです。地金を作り、切り出して、火を当てて加工し、彫りや透かしなどを施す伝統的な技法と、3DCADを使ってデザインし、お客さんに提案しながら進める新しいものを組み合わせた手法を採っています。
―アトリエ内にはさまざまな商品がある
ハイジュエリーとしての「r23atelier88」と、シンプルで低価格、機能性を追求した「ottootto(オットオット)」の2ブランドがあります。これまではアトリエ内や展示販売会などを中心にr23を展開し、東北6県や東京などのクラフトフェアで彫りの実演をしながらottoの販売をするなど差別化を図ってきました。多くの人に訪れてもらいたいので、今年からアトリエでもottoの販売をしています。地方でこれだけの彫りと透かしができるのはここだけと自負しています。
―今後の展望について
単に形や石を変えるだけのオーダージュエリーではなく、一人一人が持つ思いや個性をお伺いし、コンセプト、技法、質にこだわった特別なオーダージュエリーをお客さまと一緒に作っていくスタイルを確立していきたいです。そして、親から子へ代々受け継いできたジュエリー、壊れたものや時代やデザインが合わなくなった貴金属などの修理・磨き直しなどを気軽に相談できるアトリエを目指したいですね。
◇ ◇
問い合わせはアトリエ「r23atelier88」=電0234(43)0088=へ。
2023年(令和5年) 8月15日(火)付紙面より
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鶴岡市出身の歌手・小野寺陽介さん(49)=東京都在住=が今月23日、5年ぶりとなる新曲「みちのく恋しずく」をテイチクレコードから発売する。デビュー25周年の節目に合わせ、地元の山形県を舞台とした演歌に挑戦する。「演歌寄りの歌謡曲でなく本格的な演歌は初挑戦。多くの人に聞いてほしい」と話している。
小野寺さんは仙台市の専門学校でグラフィックデザインを学び、卒業後は地元でデザイン関連の企業に務めながら、大好きな歌で数々の歌謡大会に出場。1998年10月に「紫の雨」で歌手デビューを果たした。現在はグラフィックデザイナーとして活躍しながら、関東や関西で歌謡ショーやライブに出演するなど歌手として活動している。
新曲の「みちのく恋しずく」は、山形市の山寺を舞台に恋人との思い出を振り返る少し悲しい歌。小野寺さんは「音の高低差が大きく、難易度が高い歌。悲恋を意識してあまり重くなり過ぎないように心掛けている」と話している。ジャケットやポスターのタイトルは自ら書き、デザインしたという。
デビュー25周年と新曲発売を記念し、今月27日(日)に東京第一ホテル鶴岡でディナーショーが開かれる。午後4時半開場、同5時開演。歌謡ショーは同6時ごろからの予定。ゲストはいずれも鶴岡市出身の演歌歌手・北岡ひろしさんと佐藤善人さん、京都出身の歌手・みやま健二さん。席は若干数残っている。問い合わせはオフィス陽=電090(4888)0169=へ。
2023年(令和5年) 8月15日(火)付紙面より
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県内外の小学生サッカー「東日本大震災復興支援プロジェクトU―12交流戦」が11、12の両日、庄内町八幡サッカー場で行われた。コロナ禍による中止が続き、4年ぶりの開催。夏の日差しを受け、玉のような汗を飛び散らしながら、小学生たちが人工芝のフィールドを駆け回った。
鶴岡市櫛引地域を拠点とするサッカークラブ・サルバトーレ櫛引(運営・NPO法人サルバトーレ櫛引)主管、鶴岡地区サッカー協会の主催で2012年に初めて開催。東日本大震災で被災しサッカーができなくなったチーム・選手から庄内地方でサッカーを楽しんでもらおうと、順位なしの交流戦形式で実施している。普段対戦することのない県外のチームと試合をすることで、地元選手の強化育成なども目的としている。
今大会には地元庄内から5チーム、山形市や寒河江市など内陸から4チーム、宮城県から2チームの計11チームが参加。8人制の15分ハーフ、順位なし、選手交代の制限なしで、同じ地域のチーム同士を避けた組み合わせで試合が行われた。
この日、庄内町の気温は午後3時現在で35度。選手たちは猛暑にも負けず、汗を飛び散らしながら球を追い掛けていた。
サルバトーレ櫛引U―11(5年生以下)のメンバーとして出場した朝暘一小5年の宍戸心姫さん(11)は「宮城県のチームと試合をして、パスを受ける際に相手を見て球の動きを予測するなど、いろいろ学ぶことがあった」と話していた。
2023年(令和5年) 8月15日(火)付紙面より
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鶴岡市民田のデイサービス(通所介護施設)「古民家かふぇ はなだま」は、通所者の個性を引き出すユニークなサービスを提供している。卓球やサッカーなどのスポーツ、誕生会や運動会など、毎日のように職員が考えたさまざまなイベントが行われており、通所者から「ここに来ると楽しいことばかり」と好評だ。
通所介護の主なサービスは、通所する高齢者の入浴や排せつ、食事などの介護のほか機能訓練を日帰りで行う施設が多い。通所者が楽しく通えるように施設によって書道や陶芸、生け花、リズム体操などのプログラムが用意されている。通所者にとってデイサービスは、外出先で人と触れ合うことができ、閉じこもりや孤立を防ぐことにもつながっている。
「はなだま」に通所する高齢者は1日平均25人。施設が提供するサービスは、「“普通に生活すること”がリハビリテーションであり、機能訓練」を根本的な考えとして、通所者ができることは自分でやってもらう方針を取っている。毎日、施設へ来た時に靴を脱ぐ、そろえることに始まり、食事の際の配膳、下膳も通所者が自分たちで行う。職員は介助をするが、行き過ぎた手伝いはしない。
施設を運営する株式会社「花珠」の五十嵐結花代表取締役は「通所者がちょっとでもできることを介助するのは『その人ができることを奪っている』こと。危ないから、と座らせて居眠りだけしていたら、元気になるわけがない」と主張する。
施設では毎日、さまざまな催しで通所者を楽しませている。屋内でのスポーツのほか、屋外の畑作業で収穫したトマトや枝豆は会食でみんなが一緒に食べる。毎月行われる誕生会では通所者が仮装して、誕生月を迎えた人たちを笑わせている。
10日に行われた8月の誕生会では、歌謡曲「与作」の“ヘイヘイホー”の掛け声に合わせ、切り株に見立てた箱を段ボール製のまさかりで通所者が切り倒す。頬かむりにみのを着て、顔には真っ黒なひげや眉を描いており、周りのお年寄りたちは手をたたいて笑う。
また、水戸黄門のテーマ曲とともに通所者たちが黄門さまや助さん、格さんになり、悪役に扮(ふん)した職員たちを懲らしめる。黄門さまが「この印籠が目に入らぬか!」と決めぜりふを唱えると、職員が「違う、それは黄門さまの名札だ!」とコントのような一幕が繰り広げられ、再び大笑いに包まれる。
五十嵐代表取締役は「スポーツが好きな人はスポーツを楽しみ、寸劇を率先してやる人もいる。皆さんの個性を引き出して、笑って楽しく動けば元気になる。この施設はほとんど80~90代の人ばかりで、ほとんどが認知症を患っている。そうした中、車椅子を利用していたお年寄りも頑張って立ち上がり、催しに参加してくれる」と話す。誕生会に参加した80代の女性は「ここ(はなだま)に来ると楽しいことばかり。本当に元気になる」と笑顔を見せた。
全てが正解の介護がどんなものか、断言するのは難しいが、「はなだま」で行われている介護は超高齢化社会となる現代社会で、お年寄りが生き生きと過ごせる正しい方法の一つと言えるのではないか。