2024年(令和6年) 8月14日(水)付紙面より
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15日は終戦の日。79年前、国民が理不尽な犠牲を強いられ続けた忌まわしい戦争が終わった日だ。「戦争」は人と人との殺し合い。正気の沙汰ではない。その日以来、日本は戦争のない時代を送った。戦争は失うものばかりで、得るものは何もない無益な愚行である事を、日本が学んだ結果だ。しかし、世界では紛争が絶えないどころか、戦争が拡大している。
戦争を知る世代が減る一方、日本が戦争をしたこと、広島と長崎に原爆が投下された事実を知らない若者も増えている。誰もが平穏な暮らしをするためには、今の世界の動きに目を向け、戦争は人類最大の犯罪である事に関心を持たねばならない。
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「平和」とは―。その答えは、今年の広島原爆の日で、こども代表が述べた「平和への誓い」にある「目を閉じてください。緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔」―との言葉に、平和であることの幸せの全てが凝縮されている。今、世界各地で繰り広げられている戦争や紛争では、建物は破壊され、緑もなく、人々に笑顔はなく、あるのは恐怖だけ。まるで「平和」という言葉が存在しないかのようである。
ロシアのウクライナ侵略のように、独立国の領土を奪おうとする戦争もあれば、イスラエルによるパレスチナ自治区・ガザ地区への攻撃や中東での紛争は、侵略戦争とは異なる民族や宗教問題が絡んで争いの構図を複雑にし、憎しみと報復の連鎖を生んでいる。学校や病院まで容赦なく攻撃を受けて子どもが犠牲になっている。平穏な暮らしを知らずに成長する過程で憎しみが心に刻み込まれるとなれば、戦争は終わることを知らない。
日本は世界で唯一の戦争被爆国であることを内外に訴えているが、一方で東南アジアへの侵略や植民地支配で多くの国の人々を苦しめ、民間人を犠牲にした。戦争では、日本は被害者であり、加害者でもあった歴史的事実にも、しっかり目を向けなければならない。
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昨年9月、東京の小学6年生が、岸田文雄首相に「政府はなぜ防衛費を増やすのですか。防衛費増加は戦争につながるような気がします」という手紙を出して話題になった。児童は社会科で学んで疑問を抱いた。周辺国との緊張感から防衛予算拡大に迫られるとしても、子どもだけにでなく、国民に丁寧に説明することが、政治には求められる。そして何よりも、対話こそが重要だ。
「終戦」は、ただ争いが終わったことだけでなく、その後も争いのない時代であったことも意味する。戦争の悲惨さと無益さを、さまざまな記録資料から学ぶことができる。その学びから「平和」は全人類共通の「世界遺産」にしなければならないことが見えてくる。平和とは尊いものであることを、終戦の日にあらためて考えたい。