2024年(令和6年) 9月7日(土)付紙面より
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伝統工芸「鶴岡の絵ろうそく」を受け継ごうと国の卓越技能者で故・富樫雄治さん=鶴岡市山王町・富樫蝋燭店2代目店主=の孫に当たる黒井朋美さん(34)が絵付師を目指している。大学卒業後に入庫した鶴岡信用金庫を退職し、富樫蝋燭店で働くようになって4年目。「毎日が勉強の連続。ハードルは高いが少しでもおじいちゃん(雄治さん)の技術に近づくことができるよう頑張りたい」とろうそくに向かう毎日を送っている。
女性職人3人専門店の看板守る
朋美さんが継承する意志を固めたのは4年前。雄治さんの妻で、3代目の光(みつ)さんが83歳で亡くなったことがきっかけとなった。「一度途絶えた伝統を復活させるのは、とても難しいことだよ」―。朋美さんが幼い頃、光さんから聞いた言葉が脳裏をよぎった。
「おばあちゃんの死と同時に工房で働くおじいちゃんの姿も頭の中によみがえってきて…」と絵付師を目指した当時を振り返る。「頑張れ」と背中を押してくれた夫の支えも大きかったという。
富樫蝋燭店では現在、小松優子店長(64)と娘の梓さん(36)、そして朋美さんの3人が鶴岡の伝統工芸を継承する。この道30年以上の小松店長と梓さんが絵付け役、朋美さんは小さいろうそくの仕上げと観光客を対象にした「絵付け体験」の指導を担う。今は今月のお彼岸に向けて長いろうそくに絵付けする忙しい日が続く。
絵ろうそくの難しさは「何といっても繊細な筆遣い。もちろん描く絵のバランス感覚や芸術的なセンスも求められる」と朋美さん。「私なんてまだまだ」というが、「朋美さんが考えた水に浮く『干支(えと)ろうそく』がお土産品として、すごく人気なんです」と梓さんは評価する。
小松店長は「2代目の雄治店主を知る常連さんから『血筋を引くお孫さん(朋美さん)が受け継いで本当に良かったね』とよく言われるのがうれしい」と笑顔を見せる。店内の一角には雄治さんが手掛けた「龍神」や「風神雷神」、鶴岡の伝統絵柄「花紋燭(かもんしょく)」の見事な絵ろうそく(非売品)が展示されている。
「いくら頑張ってもおじいちゃんのレベルには到底届かないかもしれません。でも今はひたすら努力するだけ。いつも天国のおじいちゃんが『大丈夫か』と心配そうな顔をして私を見つめていそうなんです」―。こう語って朋美さんはほほ笑んだ。
【鶴岡の絵ろうそく】
江戸時代の享保年間(1716―35)に皆川重兵衛が作ったとされる。庄内藩主の酒井公が江戸城に献上する際、途中で破損したろうそくを江戸の職人では修復できなかった。これを重兵衛が鮮やかに元通りにしたところ11代将軍・徳川家斉から「日本一」と高く評価された。献上品に用いられ、全盛期には鶴岡に20軒前後のろうそく店があったという。しかし、大正後半から昭和初期にかけて特殊印刷や大量生産の時代に入ると絵付師が廃業、今でも筆で描いているのは鶴岡市で富樫蝋燭店だけとなった。