2024年(令和6年) 10月13日(日)付紙面より
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ノルウェーのノーベル賞委員会は11日、日本全国の被爆者でつくる「日本原水爆被害者団体協議会」(被団協、東京)の2024年ノーベル平和賞受賞を発表した。被爆者の証言を世界に訴え、核兵器のない世界の実現に向け努力し続けた同協会の取り組みが評価された。日本の個人や団体への平和賞は、1974年に非核三原則の表明で佐藤栄作元首相が受賞して以来50年ぶり2例目。
広島で被爆を体験した洋画家の三浦恒祺さん(94)=鶴岡市新海町=は、被団協のノーベル平和賞受賞の知らせを聞き、「こんなにうれしいことはない」と笑顔を見せた。
三浦さんは1945(昭和20)年8月、広島市の広陵中学(現広陵高校)2年生だった15歳で被爆した。勤労奉仕でトラックに乗り込み陸軍の事務用品を運ぶ作業中、爆心地から北方4キロ地点で周囲が青白い閃光に覆われ、「ドン」という大音響とともに爆風が押し寄せたという。
広島市内に戻ると火災や建物の倒壊でトラックは進めなくなった。徒歩で学校へ向かう途中、全身にひどいやけどを負い裸に近い状態でよろめきながら避難する人たちを目撃。三浦さんは「言葉に言い尽くせない悲惨で残酷な地獄絵図そのものだった」と振り返った。
子どものころから絵画に親しんでいた三浦さんは終戦後、両親の古里・鶴岡市へ移住してからも筆を執り、1961年に初めて原爆をモチーフにした抽象画「原爆の形象」を発表。それから30年余りが経過し、被爆者健康手帳を取得したことを契機に「原爆の形象」を連作として描いて戦争の悲惨さを訴え続けた。
三浦さんは「被団協の受賞を機に、核兵器禁止条約に署名もしていない日本政府は核根絶の先頭に立つべき。核兵器根絶の動きが世界で高まることを願う」と話した。
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日本原水爆被害者団体協議会(被団協) 1954年の太平洋・ビキニ環礁水爆実験を機に、56年の第2回原水爆禁止世界大会の中で結成された。国内外で証言活動を続け、世界中に核兵器廃絶と原爆被害への国家補償を訴えている。