2024年(令和6年) 10月20日(日)付紙面より
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江戸時代初期に羽黒山の別当職を務め、「羽黒山中興の祖」とたたえられる天宥(てんゆう)の縁で結ばれている鶴岡市と東京都新島村の友好都市盟約40周年を記念した式典と祝賀会が18日、同市のグランドエル・サンで開かれた。両市村の関係者約70人が出席して節目を祝い、友好の絆の深まりと交流のさらなる発展を誓った。
新島村からは大沼弘一村長、木村諭史議会議長ら6人が来鶴して出席した。式典は羽黒山伏のほら貝吹鳴で始まり、皆川治市長が「歴史的な縁に基づく友好と親善が深まることを記念する」、大沼村長が「貴重な友好関係を次世代に引き継ぎたい」とあいさつ。出羽三山神社の阿部良一宮司が「今年は天宥さんが新島で亡くなってから350年。新島と鶴岡の絆が結ばれ、長く交流が続いていることを喜んでいることと思う」と祝辞を述べた。記念品交換で、新島村はイタリアの島と新島でしか産出されない世界的に珍しい特産のコーガ石で作ったガラスの花器、鶴岡市は羽黒山の御神木に国宝・羽黒山五重塔を描いた絵馬などを贈った。
天宥は、羽黒山全体を統括する別当として参道の石段や杉並木を整備するなど全山の再興に尽くした。晩年に伊豆諸島の新島に島流しとなり、新島で亡くなった。旧羽黒町と新島村は1984(昭和59)年に友好都市の盟約を結び、子どもたちの相互訪問交流をはじめ、文化やスポーツ、物産など多方面で交流を続けている。