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荘内日報ニュース


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2024年(令和6年) 6月15日(土)付紙面より

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新潟地震から60年 園児3人犠牲に 京田地区で追悼式 冥福祈る 防災・減災の決意新た

 同校の追悼式典は毎年この時期に行っている。この日の式典は同校体育館で行われ、約200人が参列。京田地区のコミュニティセンター関係者や保育園児、同校の各学年代表などが献花台に花を手向けた後、児童を代表して6年の佐藤柚希さん(11)が「京田地区で大きな被害があったと聞くたびに当時の大変さを想像する。学校や家で当たり前の日々を送られるのはとても幸せなことと改めて思う。今の生活が守れるよう災害に備えていきたい」と述べた。続いて児童全員で「いのちの歌」を合唱した。

 式典後、献花台に手向けた花を6年生22人が近くの京田コミセン敷地内に設置されている慰霊碑の前に運び、犠牲となった子どもたちの冥福を祈った。佐藤清絆君(11)は「被災した人たちのことを思って手を合わせた。60年も前にこれほど大きな被害があったことに改めて驚いている。避難訓練の大切さなどを考える良い機会になった」と話していた。


弟のこと悲しんだ母の泣き声今も

 地震当時、3歳の弟を亡くした吉田仁さん(68)は「今回初めて式典に参列させてもらった。地震が起こったのは小学3年生の時。遊んでいた体育館が垂直に揺れ、慌てて校庭に出たら幼児園がつぶれていた。記憶がかなり薄れてしまっているが、弟のことを悲しんだ母の泣き声はまだ覚えている」と振り返った。

各学年代表の児童が献花台に花を手向け、犠牲者の冥福を祈った
各学年代表の児童が献花台に花を手向け、犠牲者の冥福を祈った


2024年(令和6年) 6月15日(土)付紙面より

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江戸川から鶴岡へ学童疎開80周年 疎開経験した荒木さん鹿本小で講話 「湯野浜にも空襲山へ山へと逃げました」

 太平洋戦争中に東京都江戸川区から鶴岡市に4300人の学童が疎開してから今年で80周年。疎開を経験した荒木ひろさん(89)が13日、同区・鹿本小(奥村孝史校長、児童186人)を訪れ、体験を話した。同小と朝暘三小が姉妹校であることから、交流会が実現した。皆川治市長も同席した。

 今年10月で90歳。茶道裏千家で荒木宋弘の師範名を持つ荒木さんは「抹茶には長生きできる成分があるのよ」とにこやかな表情だったが、世界では今も子どもたちが戦争の犠牲になっていることに「悲しいことです」と表情を曇らせた。

 終戦前年の1944(昭和19)年8月、湯野浜温泉に学童疎開。当時10歳だった荒木さんら小松川第四国民学校の児童たちは上野駅を夜行で出発。鶴岡到着後は電車(湯野浜線)に乗り換え、山間の「龍の湯」旅館で教職員8人を含む123人の疎開生活が始まった。食料面では「鶴岡は悪くなかった。苦労した覚えはない」というが「湯野浜にも空襲があったんです。その時は山へ山へと逃げました」と恐怖の瞬間を語った。

 45年8月終戦直前の旧盆のころ、旅館のトイレで父に遭遇した。「着物好きでオシャレだった父に間違いない」と先生に伝えたところ「会いに来たんだよ」と同意してくれた。だが再度トイレに戻った時に姿はなかった。その後、祖父が湯野浜を訪れ、父は同年3月、東京大空襲で熱さから逃れるため、旧中川に飛び込んだ際、溺死したことを知らされた。

 そして同年10月、帰京した。これらの出来事を淡々と話す姿に児童たちは静かに聞き入っていた。

 皆川市長は「80年の記憶を風化させず、学童疎開のことをつないでくれる江戸川区の試みに感謝したい」と話した。 

 鶴岡では8月10日に「平和の集い」が行われ、学童疎開の記録が上映され、朗読が行われる。


南国ムードで出迎え 皆川市長江戸川区役所へ

 ○…交流会の前日12日、皆川市長は江戸川区役所に斉藤猛区長を表敬した。同区は米国ハワイ州ホノルル市とも姉妹都市を結んでおり、ちょうど水曜日は週イチのアロハシャツ着用デー。南国ムードのお出迎えとなった。斉藤区長は「鶴岡はおいしい物ばかり。東京には名物が少ない分、鶴岡の物をパックして区の土産物として持ってもらうことがある」と話すと、皆川市長は作家・角野栄子さんの「魔女の文学館」が区内葛西に完成したことに「楽しみなものが増えましたね」と和やかに歓談した。

壇上で話す荒木さん
壇上で話す荒木さん

アロハシャツ姿での出迎えとなった。中央左は斉藤区長
アロハシャツ姿での出迎えとなった。中央左は斉藤区長


2024年(令和6年) 6月15日(土)付紙面より

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鶴岡工業高VS致道館高 第1回野球・サッカー定期戦 新たな伝統の“決戦”スタート

誇りと闘志ぶつかり合い熱く 野球は逆転で鶴工 サッカー致道館快勝

 鶴岡工業高と致道館高の第1回野球・サッカー定期戦が13日、鶴岡市の鶴岡ドリームスタジアムと小真木原陸上競技場で行われた。野球は中盤で逆転した鶴岡工業が5―2で勝ち、サッカーは致道館が3―0で勝利を収めた。鶴岡南と鶴岡北の両高校が統合して今春開校した中高一貫校の致道館中学・高校で、生徒の間からも「鶴岡工業との定期戦は続けたい」と声が上がり実施。“鶴岡の早慶戦”は新たな伝統として再スタートを切った。

 鶴岡工業と鶴岡南の定期戦のうち野球は1959(昭和34)年に始まり昨年の68回目で幕を閉じた。一方サッカーは67(昭和42)年に始まり昨年で47回目だった。

 野球の開会式では致道館の遠田達浩校長が「自校の誇りと闘志をみなぎらせ、素晴らしい試合となることに期待する」と両校の選手を激励。致道館の豊田晃生主将が「第1回定期戦に出場できることを誇りに思い、最後の一球まで全力で戦う」と選手宣誓した。開会式後は鶴南―鶴工定期戦時代から続く応援団の果たし状交換や致道館チアガールのダンス披露などで会場を盛り上げた。

 試合は致道館が初回に1点を先制するも、6回に鶴岡工が2死満塁から連続適時打で逆転。致道館はソロ本塁打で1点差まで追い上げたが、鶴岡工が終盤に突き放し5―2で第1回定期戦を制した。

 昨年まで鶴岡北に通い今年から致道館の生徒としてスタンドで試合を見守った叶野泰地さん(3年)は「定期戦は初めて見た。抜いたり抜かれたりの展開で、スタンドも熱気がありとても面白かった」と話していた。

 一方、サッカーは前半5分に致道館MFの佐藤晴太(2年)が押し込み先制。同14分、同MFの佐藤孝太(3年)が左サイドからシュートを決めて2点目。後半も致道館が主導権を握り、6分にMF石塚誠(3年)が3点目を挙げた。

野球は8回、鶴岡工が2点を追加。さらに1死満塁の好機で上野の内野ゴロの間に三走佐藤塁が本塁を狙うが惜しくもタッチアウト
野球は8回、鶴岡工が2点を追加。さらに1死満塁の好機で上野の内野ゴロの間に三走佐藤塁が本塁を狙うが惜しくもタッチアウト

サッカーは前半2点を先制した致道館が主導権を握り、後半も加点して3―0で勝利した
サッカーは前半2点を先制した致道館が主導権を握り、後半も加点して3―0で勝利した


2024年(令和6年) 6月15日(土)付紙面より

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昔の遊びにワクワク!! 由良保育園 オリジナルこま作り体験

 鶴岡市由良一丁目の由良保育園(佐藤司園長、園児21人)で13日、こま作り体験が行われ、園児が昔ながらの遊びを楽しんだ。

 やまがた緑環境税を活用した県のやまがた木育プログラムの一環。小さい子どもに森林や環境に興味を持ってもらおうと、県みどり自然課が県内の保育施設や子育て支援施設で木工クラフト体験などのプログラムを展開している。今回は同課職員と関係者合わせて約10人が同園を訪問。2024年度ミス日本みどりの大使・安藤きらりさんをゲスト講師として招いた。

 この日は年中児と年長児合わせて9人が参加。初めに安藤さんによる絵本読み聞かせを通して森林の役割と大切さを学習した。

 続いて丸太の輪切りにスティックを通す簡単なこま作りを体験。油性マーカーでカラフルな渦巻きやドット柄などオリジナリティーあふれる模様を丸太に描き、友達や安藤さんと一緒に勢いよく回して遊んだ。

 年中の白幡彩桜(せいさ)ちゃん(5)は「上手に回せて楽しかった。お母さんとお父さんと一緒に遊びたい」と笑顔を見せた。

自分だけのオリジナルこまを作る園児
自分だけのオリジナルこまを作る園児



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