2017年(平成29年) 6月17日(土)付紙面より
ツイート
1964(昭和39)年に新潟地震で幼児3人が犠牲になった鶴岡市京田地区で16日、避難訓練や追悼式が行われた。地元の京田小学校(布川敦校長、児童85人)では、避難訓練を行い「自分の身は自分で守る」という防災意識を高めるとともに、追悼式で犠牲者の冥福を祈った。
新潟地震は新潟県粟島付近を震源とし、マグニチュード7・5を記録。庄内地方では鶴岡市で当時の京田幼児園の園児3人が全壊した園舎の下敷きになり、酒田市では酒田三中の生徒1人が地割れに落ちるなど、計9人が犠牲になった。
これを教訓に、京田地区では新潟地震が発生した6月16日に合わせて毎年、地元の京田小やほなみ保育園が避難訓練や追悼式を実施している。京田小での追悼式は今年で53回目となった。
この日は初めに地震を想定した避難訓練。サイレンが鳴った後、「地震が起きました。安全な方法で身を守りなさい」とアナウンスが入った。揺れが収まったとして、児童たちは教室から体育館へ移動。教室に装備してある学年別の色違いのヘルメットを着用し、階段は上学年は右側、下学年は左側と交錯しないように工夫し素早く避難した。
引き続き追悼式が行われ、布川校長が当時の被害状況を説明しながら、「何よりも大事なのは悲しい出来事を絶対に繰り返さないこと。自分の命は自分で守ることをしっかり頭に入れて」と呼び掛けた。その後、代表児童6人が家庭から持ち寄った花束が飾られた祭壇に花をささげた。
最後に6年の後藤芳弥君が「祖父から聞いた話だと、前触れなく揺れが起き、僕の家の近くのおじさんの家の弟も亡くなった。自然災害はいつ起こるか分からない。落ち着いて行動し、地震が起きたら足腰の弱い祖父を助けたい。日々の備えをしっかりすることを約束しよう」と話した。
その後は各教室で防災学習のDVDを見るなどし学習を深めた。