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荘内日報ニュース


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2009年(平成21年) 9月2日(水)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と ―23―

ドンザが語る島女の心

作業着は芸術品

 仕事着というには、あまりにも芸術性にあふれている衣装だ。酒田市飛島に伝わっていた「ドンザ」のことだ。ドンザは「襤褸」と書き、「ぼろ布、古着を重ねて刺し子にした着物」のことだ。

 しかし、飛島の人たちがドンザと呼ぶことは少なく、ほとんどの人が「稼(かしぇ)ぎ着」「畑着」と呼び、明らかに作業着を指した呼称だ。「飛島に伝わっていた」と、過去形で書いたのは、今、ドンザを着ている人がいなくなったからだ。

 飛島には

 ♪投げれば立つよなドンザ着て/兄(あに)さま何処(どこ)さ行く、若布(わかめ)刈り/スットコドッコイ、ドッコイサ

 という囃子(はやし)歌と、

 ♪盆だ盆だと正月から待った/盆が来たども踊り衣装持たぬ

 という「飛島盆踊唄」がある。

 ドンザは長じゅばんに古い布を何枚も重ね縫いしていて、布地が厚くなって重い。人が着ていなくても立つほど丈夫な作りだったこと、働きづくめの女性が年がら年中ドンザを着ていて、晴れ着を着る暇などなかったことを言い表した歌だ。

時の流れで姿消す

 島の年配の女性にドンザのことを尋ねてみた。が、返事は大方が箱ごとみんな捨てただったり、押入れの奥にしまったまま忘れかけていた。「着こなしてボロボロになったころに、新しいスタイルの、丈夫で軽い作業着が出てきて…。そのころ皆が処分したんでねろがの」と、島の女性の言葉が返ってくる。

 ドンザは、女性たちのつらい気持ちまでも包みこんでいる着物だったのだろうか。

 飛島勝浦の鈴木アキノさん(78)は、「雨がっぱ無(ね)ぐで、山さ着て行げば、雨降ればみんな濡れだ。それが一番つらかったんでねが、皆が」と、自分の体験を含めて話す。ドンザはただの仕事着だけではなく、雨がっぱであり、防寒具でもあった。雨が染み込んでずっしりと重くなったドンザを着て、野菜を背負って山を下る。雨の日の畑仕事は島の女性にとって殊のほかつらかった。

心は豊かに

 昔、島の女性にとってドンザは何は無くてもの嫁入り支度だった。嫁入りが決まると、母親は新しいドンザを娘に作ってやり、縫い方も教えた。網揚げと魚の仕分け、トビウオやスルメイカを干し、時間を惜しんで裏山で畑仕事をする。女性が着ているのはいつもドンザだった。

 島内での結婚式は誰もが「いつごろあったもんだろがのー」という、昔のことになった。嫁入りの行列が通りかかると人々は縄を張って通せんぼし、酒が振る舞われると縄を解いた。意地悪をしているのではなく、嫁ぐ女性が婚家での困難に負けず、切り抜けて行けるようにとの励ましであり、願いだった。

 ドンザは長じゅばん2枚を重ね縫いし、ひじ、腰など傷みやすい場所に、さらに古い布地を重ねて縫い付けて丈夫にした。ひと針ずつ縫ったドンザの模様・柄の芸術性の評価は高い。飛島の女性たちはつらい仕事の中にも、心だけは豊かでいたのかもしれない。

(論説委員・粕谷昭二)

ひと針ずつ縫った、美しい模様のドンザを持って思い出を話す鈴木さん(飛島で)(左) 狭い通りを歩く飛島の婚礼行列。ドンザは大事な嫁入り衣装だった(昭和40年代、勝浦で)
ひと針ずつ縫った、美しい模様のドンザを持って思い出を話す鈴木さん(飛島で)(左) 狭い通りを歩く飛島の婚礼行列。ドンザは大事な嫁入り衣装だった(昭和40年代、勝浦で)


2009年(平成21年) 9月2日(水)付紙面より

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鶴岡に芸術の秋 到来 「白甕社美術展」皮切り46公演

 鶴岡アートフォーラムで1日、第4回鶴岡市芸術祭開幕式典が行われ、関係者らがテープカットし、鶴岡に「芸術の秋」到来を告げた。

 同芸術祭は旧6市町村の各芸術文化団体と市教育委員会の主催となって4年目。この日からアートフォーラムで始まった白甕社美術展を皮切りに11月30日までの期間、46公演(67団体)が行われる。うち32公演は県民芸術祭にも参加する。

 式典には関係者ら約50人が出席。山崎誠助市芸術祭運営委員長が「愛と美の感動の年輪を未来に向かって確かに刻んでいきたい」とあいさつ。山崎委員長や佐藤定雄白甕社委員長、伴和香子市教育委員長ら5人がテープカットし開幕を祝った。

 創立85周年を迎えた白甕社の美術展には会員、一般含め208人の計239点(うち遺作1点)が展示されている。作品は油彩、水彩、日本画、彫刻、工芸などさまざま。鳥海山や月山、田園風景など身近にある景色を切り取った風景画、自由な発想でそれぞれの思いを表現した抽象画など、見応えのある力作がずらりと並んでいる。

 最高賞の白甕社賞は、長い歴史の中で不条理に苦しめられてきた東北人の怒りと誇りをエネルギッシュに表現した菊地順雄さん(会員、庄内町)の油彩「エゾアテルイ炎立つ」(変200号)が受賞。また、荘日賞には菅原美里さん(一般、鶴岡市、東北芸術工科大1年)の油彩「感情」(変240号)が選ばれた。

 訪れた人たちは作品の前で足を止め一点一点じっくりと鑑賞していた。11日まで。

鶴岡市芸術祭が開幕。トップを切る白甕社美術展には大勢の市民が訪れた
鶴岡市芸術祭が開幕。トップを切る白甕社美術展には大勢の市民が訪れた


2009年(平成21年) 9月2日(水)付紙面より

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「鶴乃湯」の建物移築 石倉・庄内映画村オープンセットへ

 米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画「おくりびと」のロケ地の一つで、鶴岡市中心地にある銭湯「鶴乃湯」(三谷政弘さん経営)の建物が、庄内映画村(宇生雅明社長)が管理・運営する月山山ろくの石倉オープンセットに移築されることになった。鶴乃湯は9月1日の「無料感謝デー」をもって廃業する。

 鶴乃湯は1941(昭和16)年に開業。現在は庄内唯一の銭湯として営業を続け、「おくりびと」の公開後は新たな観光スポットとして脚光を浴びていた。しかし、10年ごとに更新してきた風呂釜が古くなり、経営する政弘さん、奥さんの享子さん夫妻が8月いっぱいでの廃業を決めていた。

 「鶴乃湯 廃業へ」との報道を受け、市民らからは保存を望む声が上がっていた。また、10月から12月の期間で庄内地域も対象エリアに実施される県やJRなどの大型誘客事業「新潟デスティネーション(DC)キャンペーン」関連の旅行商品に組み込まれていることもあり、営業継続を依頼する要望もあった。

 こうした声を受け、「おくりびと」の庄内ロケをプロデュースした庄内映画村が建物を保存する形で移築を鶴乃湯に打診した。鶴乃湯では廃業後に建物を取り壊し、現地に住居を新築する予定だったが、「建物が残るなら」(享子さん)と快諾した。

 庄内映画村によると、年内は同映画村が建物の管理・運営を行い、有料で施設を見学できるようにする。来年の雪解けとともに解体に着手し、今月12日にテーマパークとしてオープンする石倉地区の「庄内映画村オープンセット」内に移築する。移築事業費は約1500万円。

 鶴乃湯では「廃業を決めてから(風呂釜の修繕費として)募金を集めてなんとかならないかなどの声もいただいたが、営業は区切りをつけることにした。建物が残ることはありがたい」とし、同映画村の宇生社長は「代表的なシーンが撮影された建物だけに、大切に保存したい」と話してい
る。

 入浴できる最後となる1日の感謝デーは午後3時から同9時まで。

移築・保存が決まった鶴乃湯。営業最終日にも県外から訪れる観光客の姿が目立った=31日
移築・保存が決まった鶴乃湯。営業最終日にも県外から訪れる観光客の姿が目立った=31日



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