2023年(令和5年) 4月23日(日)付紙面より
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土門拳記念館(酒田市飯森山二丁目)の開館40周年記念事業の一環として酒田市は、市名誉市民第1号で世界的写真家の故土門拳氏(1909―90年)の生い立ちや業績などを漫画化することにした。27日(木)に開かれる市議会臨時会に事業費300万円を盛り込んだ本年度一般会計補正予算案を提出する。
リアリズムにこだわった報道写真、日本の伝統文化を独特の視点で切り取った作品を撮り続けた土門氏は名誉市民に推挙された74年、「作品を古里に贈りたい」という意向を示し、これに応え市は83年10月、日本初の写真専門、世界でも類を見ない個人写真家の美術館「土門拳記念館」(旧市写真展示館)を整備。以来、土門氏の代表作を中心とした展覧会、音楽家を招いてのミュージアムコンサート、プロ写真家によるギャラリートークなど開催し、文化発信拠点としての役割を担っている。現在は「さかた文化財団」(村上幸太郎理事長)が運営している。
一方、日本芸術院会員で文化功労者の谷口吉生氏(谷口建築設計研究所)による建物はこれまで、優れた建築物に贈られる第9回吉田五十八賞(84年)、芸術院賞(87年)を受けている。
今回の「漫画化」は、B&G財団「ふるさとゆかりの偉人マンガの製作と活用事業」の採択を受け、市が土門氏の偉業を後世に残そうと企画。委託を受けるさかた文化財団職員がストーリーを練るほか、作画を担当する漫画家を選定する。3000部の発行を予定しており、本年度内の完成を見込む。市によると、節目を祝う記念事業としてこのほか、祝賀会なども計画しているという。
土門を育てた故名取氏と「2人展」 記念館開館40周年記念 生涯振り返る作品並ぶ
酒田市出身の写真家・故土門拳氏と、一時期は師として土門氏を指導した写真家で編集者・故名取洋之助氏(1910―62年)の2人展「名取洋之助と土門拳」が同市飯森山二丁目の土門拳記念館で開かれている。
名取氏は東京生まれ。実業家の三男として裕福な家庭に育ち、28年ドイツへ留学。グラフ誌への寄稿を始め、当時世界最大発行部数を誇る総合出版社・ウルシュタイン社の契約写真家に抜擢された。ナチスの外国人ジャーナリスト規制により33年に帰国。近代写真の開拓者として知られる木村伊兵衛らと「日本工房」を結成し、報道写真を日本でも実現するために活動した。写真館の弟子だった土門氏は35年11月、日本工房に入社。名取氏を師として報道写真に取り組んだ。土門氏は著作権の帰属などから39年に名取氏と袂を分かつことになるが、両者は戦前戦後に至るまで社会的写真を探求し続けた。土門氏の長女で、同記念館館長を務めた故池田真魚氏は「名取先生がいなければ、土門拳の存在はなかったと思う。写真家土門拳を育てたのは名取洋之助にほかなりません」などと語っていたという。
2人展は同記念館の開館40周年記念として、名取氏の作品を所蔵する日本カメラ財団の協力で企画。今回は同財団から80点、同記念館から44点のカラー・モノクロ計124点を展示。名取氏と土門氏の生涯を振り返りながら、戦前戦後それぞれの時代の作品が並んでいる。
このうち「戦後」では、左足のない傷病兵が背中に子どもを背負いながら松葉杖で歩いていく後ろ姿を捉えた「銀座を歩く傷病兵と子ども」(50年)などリアリズム写真を提唱した土門氏に対し、名取氏は鹿児島県の黒島で栄養不良の生徒たちが校庭に集合する様を捉えた「村の小学校」(54年ごろ)など写真でメッセージを伝達する手法の作品など、それぞれの特徴が出ており、来場者は興味深げに一点一点足を止めて見入っていた。展示は7月9日(日)まで。