2025年(令和7年) 3月8日(土)付紙面より
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発生から14年目を迎える東日本大震災を前に、庄内町の余目中学校(佐藤義徳校長)の生徒が6日、庄内町役場で、発生日に防災行政無線で放送される震災犠牲者の慰霊を呼び掛けるメッセージを収録した。担当した3年の新野うみさん(14)は「東日本大震災のことを忘れないよう思いを込めた」などと話した。
震災で甚大な被害が出た宮城県南三陸町の前身の一つ旧歌津町は、1999(平成11)年に旧立川町と友好町盟約を締結。震災時は庄内町からいち早く炊き出し班が南三陸町に出向き、被災者に温かいおにぎりを届けるなど支援。そのお礼として南三陸町からは新鮮なワカメが届けられるなど、現在に至るまで幅広い交流を続けている。
同校でも、2年生が南三陸町を訪問し地元住民と交流。メッセージ収録もこうした活動の一環で2017年から毎年行われており、今年で9回目。
この日は新野さんがリハーサル後に緊張した面持ちで本番収録。復興支援ソング「花は咲く」に合わせて、「震災を忘れずに語り継ぎ、この先も友好町である南三陸町とのつながりをより一層深めていきたい」などと穏やかに語り掛けた。
収録後、新野さんは「家族に練習に付き合ってもらった。最初は緊張したが練習通りにできたので良かった」と話していた。
収録されたメッセージは今月11日午前7時45分と午後2時45分の2回、庄内町内に設置された防災行政無線のスピーカーから同町全域に向けて放送されるほか、町のSNSでも広く発信される。
2025年(令和7年) 3月8日(土)付紙面より
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人は空腹が満たされていると、身も心も落ち着いて穏やかになると言われる。そのような視点などから、全国で「子ども食堂」の取り組みが広がっている。子どもやその保護者、さらには地域の人々に無料、あるいは安価で食事を提供する社会活動として知られる。以前は貧困対策と見られることもあったが、今は幅広い年代の交流の場になり、単身生活の高齢者の利用も増えていると言われる。
庄内町で「地域食堂(子ども食堂)始め方研修会」が開かれ、居場所づくりが大事だとして、その立ち上げ方法などを学んだ。講師が語ったのは「一方的なサポートにならず、支援する人も、される人も対等な関係のつながりの重要性」だった。
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NHKテレビで、元保護司の高齢女性が自宅を開放して手料理を食べさせ、親身になって相談に乗ることで、生活に投げやりになっていた少年や少女を更生させるというドキュメンタリー番組があった。広島市の女性は長年の経験から「非行などの根っこには空腹がある」として活動を始めた。集まって来るのは、貧しさから家で食事を取れなかったり、家庭での愛情が薄い子どもたち。女性は食事を出し、子どもたちの話を黙って聞いてやる。みんなから「ばっちゃん」と呼ばれて慕われ、立ち直った子どもたちが新しい家庭を築いている。
女性が始めた「食事提供と居場所づくり」は次第に賛同の輪が広がり、地域の主婦たちが手伝いに集まってきて、子どもや若者に限らず、保護者、高齢者を含む幅広い年齢層の地域住民が交流する場になった。子どもたちは空腹を満たし、ばっちゃんに話を聞いてもらうだけで、心が和んでいく様子が描かれている。
一時期、子ども食堂は貧困家庭の子どもが行く場所というマイナスイメージもあった。だが少子化、親の帰りが遅く1人で食事する子どももいることで、子ども食堂は家では得られない「居場所」になる。庄内町での研修会でも「食堂は、あくまでも人をつなぐ手段、コミュニティーの創出が目的」だと強調された。
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少子高齢化で、地元とのつながりが希薄になる傾向が指摘されている。都市部では若い親子が子ども食堂にやって来るケースもあるという。普段と違った環境に触れ、知らない人と交流する。子どもも高齢者と話すことを通じた学びもある。世代を超えた交流の場は、人間形成に重要な役割を果たしている。
昔は貧困を表に出したがらない傾向があったことで、庄内町での研修会で「押し付けない支援」が大事との指摘もあった。再び広島の女性の話。食事を出し、子どもたちの話の聞き役に徹している。そんなサービスと学びの中から将来地域社会に役立つ人も育つことが期待される。子ども食堂とは、生きた社会学習の場であろう。