2006年(平成18年) 12月6日(水)付紙面より
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幕末から明治時代にかけ、仏画や武者絵、大和絵、山水画などさまざまな手法で数多くの絵を描き「画僧」と呼ばれた市原圓潭(えんたん)和尚の顕彰碑がこのほど完成し5日、圓潭和尚が眠る鶴岡市大淀川の淀川寺で碑の建立を記念して除幕式と祝賀会が行われた。
圓潭和尚は1817(文化14)年に酒田天正寺町の呉服屋の四男として生まれた。幼い時から絵を好み、24歳で江戸の絵師・狩野探淵に入門。京都や奈良、長崎などの寺社を巡歴し、多くの古仏画を模写するとともに大和絵を学び、独自の画風を確立した。
35歳の時に鶴岡の大督寺で仏門に入り、江戸で修行を積みながら絵画の研究を重ねた。その後、古里に戻り、61歳で田川郡大淀川村(のちの大泉村)淀川寺の住職となった。一時期、酒田の千日堂南町に住んだが再び淀川寺に戻り、85歳で生涯を終え同寺に葬られた。
同寺の本堂東側には、圓潭和尚が生前建てた自らの墓が残されていたが近年風化が著しく、「大淀川住民の誇りである圓潭和尚を供養し、後年に名を継いでいこう」として同寺護持会は今年4月に顕彰碑の建立を計画。有志で実行委員会(蛸井佑吉代表)をつくり、半年ほどかけて地元石材屋を通して碑を製作した。碑は高さ約1・8メートル。全体は御影石で作られ、圓潭和尚の略年譜が刻み込まれた黒石が正面にはめ込まれている。
顕彰碑は圓潭和尚の墓があった場所に建立された。風化した墓は同寺本堂西側に移され、歴代住職の墓に並べられた。
この日の除幕式では、圓潭和尚とゆかりのある常念寺(鶴岡市睦町)の渡辺成就住職や大督寺(同市家中新町)の斎藤淳明住職など3人が読経し、護持会メンバーたちが除幕。地元住民や檀家など約30人の参列者が次々と焼香し、故人の冥福を祈った。式後、淀川寺内で祝賀会が行われ、参列者たちが顕彰碑の完成を喜び合った。
画僧・圓潭和尚の略年譜が刻み込まれた顕彰碑が完成した