2009年(平成21年) 3月14日(土)付紙面より
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生きのいい魚檀家に
玄関先で商売
リヤカーに鮮魚を積んで売り歩くあばの仕事は、正しくは県に登録した「行商」。店舗を構えず、戸口まで出向いての商売は、買い手からすればいたって便利な出張販売である。あばたちは得意先を檀家(だんか)と呼び、親類付き合いも少なくない。あばと同義語的に使われることがある「五十集屋(いさばや)」は、店を構えて商売する鮮魚店のことだ。
あばたちのような鮮魚行商は、「触れ売り」とも呼ばれる。香川県高松市の「いただきさん」、和歌山県田辺市の「引き売りさん」、新潟県村上市の「商いのかあちゃん」などと独特の呼び名があり、それぞれが歴史を重ねた地方の文化だ。どちらも女性の商売で、高齢化によって人数は減ってきて先細りの商売になったが、藩政時代に始まる庄内のあばは、伝統と呼称の語感では全国の同業者に後れを取らない。
あばの資本は、何は無くてもまず健康だ。昔は自分の体重以上の鮮魚類を背負い、両手にも荷物を持って列車に乗った。今、鶴岡市内でリヤカーを引いているあばは、同市末広町のJR鶴岡駅前にある「田川地方行商協同組合」の市場(荷扱所)で仲買人から魚を仕入れ、売り歩く形態に変わった。
あばたちは、午前6時半ごろには組合から街に出る。魚箱を積んでリヤカーを引く足取りは、高齢者には見えない軽快さだ。魚は発泡スチロールの箱に氷詰めしているのでそれなりに鮮度を保つことはできるが、それでも「より生きのいいのを檀家に届けて喜んでもらいたい」とあばたちは口をそろえる。仕事は昼すぎに終わる。
登録の譲渡は不可
食料難の戦後をピークに庶民の食卓を支えた、あばの「魚介類行商登録票」の交付と更新は、県の魚介類行商取締条例で本人一代限りと定められている。行商をやめるからといって、権利を他人に譲渡することはできない。このため、高齢化による引退で人数が減っていくのは自然の流れでもある。今、リヤカーを引いて檀家を売り歩くあばは、庄内地方では鶴岡市を中心に十数人だけになった。
代わって登場したのが、保冷設備のある軽トラックなどで回る「移動販売」。これは店舗を構える鮮魚店と同じ県条例での許可になる。あばとはまったく別タイプの商売で、行商とはいわない。檀家を回って売り歩くという形態は行商と変わらないが、機動力が格段に違うので行動範囲は広い。スーパーなどがない山間地域では、なくてはならない存在になっている。
商売の資本は体力
あばの歴史には、戦争や海難で夫を失った女性が、生活の糧を求めてあばになった悲哀も少なくなかった。設備や資本も要らず、重い荷物を背負う体力があれば、日銭を稼ぐに格好の仕事だった。
羽越線下り一番列車内は魚を背負ったあばで占められ、鶴岡駅前広場は、あば同士の取り引きで毎朝青空市場と化した。物資不足はヤミ値を招き、時には警察の取り締まりも受けたが、あばたちはひるむことはなかった。自分たちの存在なくして人々の生活が立ち行かなかったからだ。
(論説委員・粕谷昭二)
田川地区行商組合で魚を仕入れるあばたち。毎朝午前5時すぎには仕事が始まる(鶴岡市末広町で)(左) あばたちが常に携帯している「魚介類行商登録票」。登録は一代限りだ