2009年(平成21年) 4月8日(水)付紙面より
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鶴岡駅前で大挙店開き
警察が取り締まる
食べ物が配給制になった終戦直後の食料不足は深刻だった。そんな中で庶民の食卓を支えたのが行商のあばたちだった。あばが運んでくる魚は飛ぶように売れて闇値を呼び、警察の取り締まりの対象になった。
「荘内自由新聞(荘内日報の前身)」の1947(昭和22)年3月21日付に、取り締まりの様子を報じる記事が載っている。
「価格取締に引掛った濱のアバサマ達・背負い込みした鮮魚類十九日だけで三千貫め」の、2段見出しの記事は次のようだ(原文のまま。句読点はほとんどない)。
〈鶴岡市で過般来の経済部面一斉取締により、市民の食膳をかねてにぎわして来た生鮮魚介類は店頭から断然姿を消してしまったがその代わり荘内各海岸の魚売りやアバ達が漁籠を背に朝早くから汽車や電車等を利用して鶴岡市に行商に出ばり闇値で売り煽(あお)っている事態を察知した鶴岡署では十九日早朝鶴岡駅に待機午前七時すぎに羽越線下り一番列車及び電車で着するこれ等アバ達約三百名を急襲した。斯(かく)して鶴岡署員立会の上駅前及び下肴町マーケットで彼女等の持ってきた小アミ、サメ、イカ、エビ、ハタハタ等の鮮魚を公定価格で販売させたがこの魚一人約十貫(約37キロ)づつとして三千貫(約11トン)時ならぬ朗報に早耳の奥さん達は我も我もと押掛けて大混雑を呈し立会のお巡りさんはうれしい悲鳴をあげ乍(なが)ら汗だくで整理に大童。尚鶴岡署では今後も抜打的に斯種価格取締りを行うとハリキッテいる〉。
事前予告も
現在の新聞の文章に比べ、どことなくこっけいでもある文面だが、内容から当時の様子がリアルに伝わってくる。この取り締まりについては、事前に警告する記事も同年3月1日付の同新聞に載っている。
警察署が市民に呼び掛けた啓発は「価格表示、物価取り締まりの網の目をくぐって闇値で売る商人、闇ブローカーが暴利を得ている。善良な市民は闇値にあえいでいる。これらを見つけたら遠慮なく警察に届け出てほしい」というものだ。
生活物資流通の健全化に向け、特に闇ブローカー一掃を呼び掛けたものだが、あわせて主食と主食加工品、青果物、鮮魚、繊維製品なども取り締まると予告している。
一般人も誤摘発
食品類の厳しい取り締まりは、時に一般人も巻き込んだ。鶴岡市鼠ケ関の五十嵐富美恵さん(89)は、あばになる前の47(昭和22)年ごろ、戦地から戻った夫の知人の病気見舞いで鶴岡市内の病院までタイ、サバなどを一斗缶に氷詰めして届ける途中、摘発された。「いくら事情を説明しても警察に分かってもらえないまま魚を没収された。手ぶらでは見舞いにならず、悔しい思いは一生忘れることができない」と話す。
このころの新聞では味噌、醤油、塩、酒類の配給切符は各世帯に届ける。魚類は配給組合から各町内会の世話人を通じて各戸に家族数に見合った数量の配給日を知らせる記事も見える。
(論説委員・粕谷昭二)
〔訂正〕1日付紙面「旧町名上肴町」の標柱設置者は、(社)荘内文化財保存会でした。
毎朝、青空市場となった鶴岡駅前で商売するあばたち。奥には観光土産の看板も見える=1955(昭和30)年9月、伊藤孝紀氏撮影、酒田市立資料館蔵(左) 行商の摘発や闇ブローカー注意を報じた新聞記事