2009年(平成21年) 6月9日(火)付紙面より
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20数年ぶり名称復活
江戸時代後期に庄内藩・酒井家の越後長岡転封を阻止した「天保義民」に由来する銘菓の名前が復活した―。菓子製造販売の木村屋(鶴岡市、吉野隆一社長)が、新たに商標を取得したアズキの打ち菓子「きつねめん」の販売を始めた。以前は同市内の各菓子店が同じ名前で製造、販売した銘菓だが、商標使用の関係で二十数年間、鶴岡ではその名が消えていた。木村屋では、各店からも「きつねめん」の名称を使ってもらうことにより、城下町・鶴岡の銘菓の名称再興を描いている。
江戸幕府は天保11(1840)年、庄内、長岡、川越各藩の藩主に「三方国替え」の命を下した。庄内藩の農民らは酒井家の転封に強固に反対し、「百姓といえども二君に仕えず」と阻止運動を展開。幕命を覆し、天保義民事件と呼ばれた。同市出身の藤沢周平の小説「義民が駆ける」は、この事件に材を取った。
藩主が「お居成(いな)り」になったという慶事に、城下の菓子屋が領民に頼まれ、「居成り」を「稲荷(いな)」に置き換えてキツネのお面をかたどったアズキの打ち菓子を作り、藩主に献上したのが、きつねめんの始まりとされている。
市内の各菓子店は、城下町に伝わるめでたい菓子としてアズキの打ち菓子を作り続け、「きつねめん」の名称で長く販売してきた。ところが20年ほど前、関西圏の菓子店がせんべいの名称として「きつねめん」の商標を取得済みであることが判明。市内の菓子店で組織する鶴岡菓子協同組合は伝統の菓子を残す善後策として、組合名できつねめんに代わる名称として「おきつねはん」の商標を取得。共通名をおきつねはんに切り替えた。
昨年夏、組合の会合できつねめんの商標登録が消滅していることが話題となり、特許庁のホームページで確認した吉野社長が「鶴岡以外の菓子屋から取得され、商品が鶴岡で売られたらたまらない」と、すぐに商標登録を申請。審査を経て認定された。吉野社長は「歴史性があり、めでたい菓子であるため年始回りで使われたきつねめんは、鶴岡の菓子屋の財産であると同時に、市民の財産。他の地域に決して渡してはならない名前だ」と、申請に至った思いを語る。
木村屋は5月初めから復活した「きつねめん」と、これまで同様の「おきつねはん」を並べて販売を始めた。1カ月経過し販売数を比べると、きつめねんが圧倒的に多かった。「30歳代以下の世代には『おきつねはん』で通っているが、40歳代以上には『きつねめん』として知られている。購買層は年配の方が多いため、きつねめんの販売数が上回っている」と吉野社長。30歳代以下の若い人たちからは逆に、「『きつねめん』って何」と言われるという。
物語性を持つ城下町の伝統菓子を若い世代からも認知してもらいたいと、きつねめん保存会を立ち上げ、賛同する菓子店の参加を得て「きつねめん」の名称使用を広めていく考え。すでに加盟を名乗り出た菓子店もある。
吉野社長は「鶴岡の多くの菓子屋から保存会に入ってもらい、各店がそれぞれの技を生かして独自のきつねめんを作ってもらえれば。そうして鶴岡銘菓『きつねめん』の評価を高めていきたい」と話している。
木村屋で販売を始めた「きつねめん」。城下町・鶴岡で伝統ある銘菓の名前が復活した