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荘内日報ニュース


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2009年(平成21年) 6月3日(水)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と―13―

身も心も元気な82歳

列車が一番

 2006(平成18)年1月19日。まだ真っ暗なJR酒田駅のホームに上嶋みよさん(82)の姿があった。午前5時53分発の陸羽西線の列車で庄内町余目に行商に向かうためだ。列車に乗るのはほぼ1カ月ぶり。

 JR羽越本線は05年12月25日夜、上り特急「いなほ」(6両編成)が最上川の鉄橋を渡り切った所で、突風のため脱線転覆。乗客5人が死亡する事故があって運転が止まっていた。

 運転再開の日、上嶋さんは寒ダラやマグロの刺し身、総菜など10キロ余を背負って列車に乗り込んだ。

 「なじみ客が待っていてくれっさげ、休まいねー」

 列車の運休中は代行バスに乗ったこともあったが、慣れないバスは勝手が違った。「行商は長年乗り慣れた列車が一番」。上嶋さんにとって、待ち遠しい運転再開だった。

自転車を盗まれる

 心身とも82歳とは思えない元気さだ。帰り道、酒田駅から家までは緩い上り道が長く続くが、自転車のペダルを軽々と踏む。70歳のころのこと、駅前の大型スーパー前に駐輪した自転車が、行商から戻るとなくなっていた。届け出た交番で、駐輪した場所を度忘れしたのではないかと言われたことがある。「年寄りが物忘れしたみたいな言い方されて、まず腹が立って。今でも忘れらいね…」

 記憶力、暗算力抜群の上嶋さんだから、なおさらだった。

 自転車は数日後、元の場所に戻されていた。誰かが“寸借”したのだろう。以来、上嶋さんは駐輪する時は自転車の荷台のひもを外して持ち歩いている。「誰か盗まれたという話を聞いたこともある。荷台ひもなど高い品物ではねんども、ねぐなったら気分が悪りさげ」と話しながら、背負った空の魚箱から荷台ひもを取り出した。

生涯現役を貫く

 東京のテレビ局が08年6月、上嶋さんを取り上げた。放送時間は15分ほど。「4日間も付きっきりで、朝弁当を詰めっどごから部屋の中まで細かに撮影していったのに、テレビに出なかった分はどうしたもんだろの」。自分で期待した場面が放送されなかったことが、心残りだった。

 財布に仕入れ値と売り値を書いた伝票が入っている。「大したもうけでもないのに。毎年の確定申告で必要ださげ」。きちんと税金を納めていることも、上嶋さんの自慢。それと老眼鏡なしで細かな字を読めることも。

 仕事帰りの空の魚箱から「ほれ」と取り出したのは、ジャガイモ、ナス、しその葉。「檀家が持っていげって…。辞めっがと迷うときもあっげど、辞めらいねもんだ…」

 帰宅後の楽しみは昼寝とテレビの水戸黄門。「歌謡番組も好きだよ、カラオケで演歌だって歌う」。午後7時には床に就く。

 早寝早起き、そして頭を使う。年齢に似合わないほど冗談をしゃべり、茶目っ気たっぷりなのが若さの秘密だ。余目駅のホームで、カメラにピースサインを向けながら列車に乗り込んだ。

 生涯現役のあばは、いつも笑顔だ。

(論説委員・粕谷昭二)

余目駅で帰りの列車を待つ上嶋さん。ゆっくりできる午後の列車に乗ることが多い(左) 酒田駅からの緩い上り坂を自転車で帰宅する。足取りは軽い
余目駅で帰りの列車を待つ上嶋さん。ゆっくりできる午後の列車に乗ることが多い(左) 酒田駅からの緩い上り坂を自転車で帰宅する。足取りは軽い


2009年(平成21年) 6月3日(水)付紙面より

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即身仏の衣替える 真如海上人 6年ぶりに 大日坊

 鶴岡市大網の湯殿山総本寺大網大日坊(遠藤宥覚貫主)で1日、即身仏真如海上人の衣替大祭が行われた。

 大日坊は1200年前の大同2(807)年4月8日、弘法大師によって開基された。かつては春日局が参拝した徳川将軍家の祈願寺で、全国各地に信者がいる。

 真如海上人は20代で即身仏を志し、難業苦業を積み重ね、96歳で生身のまま土中に入定し、生きながら仏となった。衣替大祭は、大日如来の縁があるとされる、丑歳(うしどし)と未(ひつじ)歳の6年に一度行われている。

 この日は県内外から大勢の信者が訪れ、「この世のすべての苦しみを引き受ける」という上人の衣替えを見守った。遠藤貫主の読経が響く中、マスクや手袋をつけた関係者たちが上人の衣服を新しいものに替えた。

 その後、上人を本堂まで運び、湯殿山開山祭の祈とうが行われ、参拝者たちの心願成就を祈願した。

即身仏・真如海上人の衣服を新しいものに替えた
即身仏・真如海上人の衣服を新しいものに替えた


2009年(平成21年) 6月3日(水)付紙面より

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漁獲量全国トップクラス イカ釣り船団が出航 市民らテープ手に見送り 大漁と航海安全祈る 酒田港

 酒田市飛島出身者を中心とする中型イカ釣り船団「山形船団船友漁労長会」(本間健船団長)の出航式が2日、酒田港袖岡ふ頭で行われ、同船団のうち7隻が大勢の市民らに見送られ、約半年間の漁に出発した。

 本県、北海道、石川県各船籍の160―180トン級の中型船団で、漁獲量は全国トップクラス。6月初旬から12月初旬にかけ最初は庄内沖や能登半島沖、その後は日本海中部の漁場・大和堆、9月以降はロシア海域や太平洋でスルメイカ(真イカ)を追う。

 イカ釣り漁を取り巻く状況は現在、▽乗組員の高齢化と後継者不足▽地球温暖化に伴う魚場の不安定化▽魚価の低迷と原油などコスト高―などにより厳しさが増しているという。同船団には今シーズン、昨シーズンより1隻少ない15隻が加入。昨シーズン同様、インドネシアからの漁業研修生も乗り組んだ。

 出航式は、市と県漁業協同組合(五十嵐安哉組合長)の主催。乗組員とともに見送りの市民らが大勢参加した。阿部寿一市長が「出航式は酒田の初夏の風物詩。大漁と航海安全を祈る」、五十嵐組合長が「イカを満タンにして帰港し、酒田ににぎわいを」とそれぞれ激励。これを受け本間船団長は「『酒田はイカの町』と言われるように、船団が一丸となって努力してくる。大漁と航海の安全を誓う」と決意表明した。

 正午すぎ、汽笛を鳴らしながら出航。市民らは、船と結んだ五色のテープを手にし、「頑張ってこいよ」「いってらっしゃい」と声を掛けていた。

大勢の市民らに見送られイカ釣り船が出航
大勢の市民らに見送られイカ釣り船が出航



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