2009年(平成21年) 6月9日(火)付紙面より
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シナノキの花咲く頃 神田 リエ
初夏を迎え、梅雨に入るとしな織りの里・関川では、シナノキの皮剥作業が始まります。まだ、その時期には早いのですが、国道345号線を通ってしな織の里・関川に向かいました。途中4つの峠があります。鬼坂峠・楠峠・一本木峠・関川峠です。一本木峠の他はトンネルが通っています。トンネルの傍らには峠道がまだ残っています。昔の面影を残す峠道は、今では通行が困難になっているところも少なくありません。かつて山間の集落は峠越えでつながっていました。難所と呼ばれるところも多く、当時の人々の思いが峠にまつわる伝説や昔話に映し出されています。関川峠に伝わる「バレローンお化け」(『全国昔話資料集成37 庄内昔話集』)もそのひとつです。
道路沿いや家々の軒先に薪(まき)棚が見えてきました。田植えが終わり、これから薪割りの作業に入るのでしょう。関川では今も多くの家で薪ストーブを使用しています。その木灰はシナの皮を煮る時に使われます。また、山菜やトチの実のアク抜き、笹巻き作りなどにも利用されています。関川では古代織としてのしな織継承とともに、木灰の文化も受け継がれています。
関川峠を越えると関川の集落があり、その中央には鼠ケ関川が流れています。川沿いに緩やかな傾斜を降りていくと、左側に?戊辰戦争之役古戦場の碑?があります。1868年(明治元年)、戊辰の役最後の激戦地になったところです。すぐ隣には薬師神社があり、境内はたくさんの大きな木に囲まれています。とりわけ目を引くのがイチョウです。イチョウは根元から7本枝を伸ばし、そのうちの1本には気根がみられます。「この木なんの木?」と、前から気になっていたのは、大きく二つに枝分かれしたキハダでした。毎年秋に開催される?しな織まつ
り?の会場で、いつも眺めていた木です。枝分かれした幹は太く、片方は川沿いに伸びています。他にも花をつけたトチノキ、大きなスギなどがあります。境内の木々は、戊辰の役の戦いをつぶ
さに見てきたのでしょうか。
しな織の材料となるシナノキは、昔から有用材として日本の木の文化に重要な役割を果たしてきました。材は合板、彫刻や鉛筆、割りばしなどに、樹皮は布や縄などに、また蜜源植物として人々の暮らしに深くかかわってきました。
シナノキの花のお茶もあります。乾燥させた花にお湯を注ぐと、小さな花が開き、さわやかな香りがたちこめます。シナノキの花は変わった形をしています。葉の付け根から長い柄が垂れていて、そこにへら状の包葉があります。その包葉の真ん中あたりから花枝が出て、その先に小さな淡黄色の花がたくさんつきます。まるで線香花火のようにかわいらしい花です。
関川には今も森と共にある暮らしの時間が流れています。しな織の里・関川は、もうすぐシナノキの甘い香りに包まれることでしょう。
(山大農学部助教、専門は森林文化論)
シナノキ 若葉のころ/八森山(鶴岡市大山)にて=自然写真家・斎藤政広撮影(2009年5月2日)
2009年(平成21年) 6月9日(火)付紙面より
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20数年ぶり名称復活
江戸時代後期に庄内藩・酒井家の越後長岡転封を阻止した「天保義民」に由来する銘菓の名前が復活した―。菓子製造販売の木村屋(鶴岡市、吉野隆一社長)が、新たに商標を取得したアズキの打ち菓子「きつねめん」の販売を始めた。以前は同市内の各菓子店が同じ名前で製造、販売した銘菓だが、商標使用の関係で二十数年間、鶴岡ではその名が消えていた。木村屋では、各店からも「きつねめん」の名称を使ってもらうことにより、城下町・鶴岡の銘菓の名称再興を描いている。
江戸幕府は天保11(1840)年、庄内、長岡、川越各藩の藩主に「三方国替え」の命を下した。庄内藩の農民らは酒井家の転封に強固に反対し、「百姓といえども二君に仕えず」と阻止運動を展開。幕命を覆し、天保義民事件と呼ばれた。同市出身の藤沢周平の小説「義民が駆ける」は、この事件に材を取った。
藩主が「お居成(いな)り」になったという慶事に、城下の菓子屋が領民に頼まれ、「居成り」を「稲荷(いな)」に置き換えてキツネのお面をかたどったアズキの打ち菓子を作り、藩主に献上したのが、きつねめんの始まりとされている。
市内の各菓子店は、城下町に伝わるめでたい菓子としてアズキの打ち菓子を作り続け、「きつねめん」の名称で長く販売してきた。ところが20年ほど前、関西圏の菓子店がせんべいの名称として「きつねめん」の商標を取得済みであることが判明。市内の菓子店で組織する鶴岡菓子協同組合は伝統の菓子を残す善後策として、組合名できつねめんに代わる名称として「おきつねはん」の商標を取得。共通名をおきつねはんに切り替えた。
昨年夏、組合の会合できつねめんの商標登録が消滅していることが話題となり、特許庁のホームページで確認した吉野社長が「鶴岡以外の菓子屋から取得され、商品が鶴岡で売られたらたまらない」と、すぐに商標登録を申請。審査を経て認定された。吉野社長は「歴史性があり、めでたい菓子であるため年始回りで使われたきつねめんは、鶴岡の菓子屋の財産であると同時に、市民の財産。他の地域に決して渡してはならない名前だ」と、申請に至った思いを語る。
木村屋は5月初めから復活した「きつねめん」と、これまで同様の「おきつねはん」を並べて販売を始めた。1カ月経過し販売数を比べると、きつめねんが圧倒的に多かった。「30歳代以下の世代には『おきつねはん』で通っているが、40歳代以上には『きつねめん』として知られている。購買層は年配の方が多いため、きつねめんの販売数が上回っている」と吉野社長。30歳代以下の若い人たちからは逆に、「『きつねめん』って何」と言われるという。
物語性を持つ城下町の伝統菓子を若い世代からも認知してもらいたいと、きつねめん保存会を立ち上げ、賛同する菓子店の参加を得て「きつねめん」の名称使用を広めていく考え。すでに加盟を名乗り出た菓子店もある。
吉野社長は「鶴岡の多くの菓子屋から保存会に入ってもらい、各店がそれぞれの技を生かして独自のきつねめんを作ってもらえれば。そうして鶴岡銘菓『きつねめん』の評価を高めていきたい」と話している。
木村屋で販売を始めた「きつねめん」。城下町・鶴岡で伝統ある銘菓の名前が復活した
2009年(平成21年) 6月9日(火)付紙面より
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今年の鶴岡市産ネットメロンが8日、同市茨新田のJA鶴岡西郷選果場に初出荷され、ハウスもののアンデスメロン1070ケースが首都圏へ発送された。
JA鶴岡ネットメロン専門部は212人の生産者で組織。今年の作付け面積は前年とほぼ同様の160?となった。今月中旬ごろから連日出荷となり、ハウスものは今月末―7月上旬、露地ものは来月下旬ごろにピークを迎える。今年はアンデス、鶴姫の青肉系、赤肉系など4品種で昨年実績とほぼ同程度の計60万ケースを出荷する予定。
この日は、西郷地区の生産者2人が2L(5個入り)を中心に計1070ケースを選果場に持ち込んだ。糖度をチェックしたところ、糖度が16度と基準値(13度)を3度上回り、甘味は十分で高品質だった。首都圏での卸値は1ケース3000―4000円程度と見込む。
同選果場で行われた初出荷式では、JA鶴岡の遠藤稔代表理事組合長ら関係者がテープカットを行い出荷を祝った。
JA鶴岡の田沢繁営農部長は「5月上旬の低温の影響で昨年より3日ほど遅い初出荷となったが、糖度は十分で品質も上々」と話していた。
首都圏へ初出荷される鶴岡産アンデスメロン