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2011年(平成23年) 3月11日(金)付紙面より

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森の時間38 ―山形大学農学部からみなさんへ―

 いま、この原稿を書き始めたのが2月16日の18時13分。そろそろ農学部周辺がカラスで賑わいます。その数たるや「三つ四つ、二つ三つ」などと『枕草子』が描いたような優美さとはほど遠いですね。漆黒の大群を見上げると、むしろ高杉晋作が思い出されます。そう幕末維新の立役者です。この人の都々逸(どどいつ)に『三千世界のカラスを殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたい』という句があります。世の中をひっくり返した大革命家でもカラスの群れはままならなかったと思えば多少の諦めもつくでしょうか。その高杉もおそらく知らなかった現代カラスの奇妙な性質が、光る金属を集めたがる収集癖です。針金のハンガーを巣の素材として使う姿を報道等でご覧になった方も多いでしょう。もしかしたら、それは次のような理由かもしれません。

 考えてみれば鳥(とり)の巣は汚いのです。糞尿だらけだし、ダニや寄生虫もいます。不衛生は生まれたての雛には致命的なのに、なぜ彼らは平気なのか? そんな疑問を持った北米の生態学者が天然林でホシムクドリの巣を観察しました。すると、親鳥は餌にならない野生ニンジンやムカシヨモギなどの生葉を巣壁に編み込んでいることに気付いたのです。これらの葉からは抗菌性のテルペン類が検出されます。つまり、鳥たちは除菌の術を知っていたのです。毛繕いや行水も寄生虫対策と考えられています。こうしてみると、ツルツルした金属は枝や藁より汚れがつきにくいので、カラスが好んで使うのも衛生のためと思えてきます。人間社会に密着した彼らが見つけた新アイテムなのかもしれません。

 さて、先のホシムクドリと森の野草の話はこれで終わりません。聞き取り調査によれば、その森の先住民もこれらの野草を皮膚病の薬として利用してきたそうです。森での生態観察が化学分析を介して伝統文化に行き着いたわけです。自然に暮らす先人たちのこうした知恵は「伝統知」と呼ばれ、環境保全とパッケージで世界的に見直されています。以前に万葉集の「薬狩り」で紹介したように、日本人の生活を支えた里山も日常薬の宝庫でもあったはずです。私がずっと若かった頃、近くの林で熱心に栃の実を集める(やはり当時は若かった)女性に「それは栗じゃないよ」と教えてあげたら、「分かってるわよ、栃でしょ。婆ちゃんが焼酎に浸けると湿布薬になるって喜ぶから採って帰るの」と逆に教えられました。当時はまだ伝統知が孫の世代に受け継がれていたのです。現代はどうでしょうか。彼女は自分の子供に湿布作りを伝えたかしら?

 文化的継承が途絶えてしまう前に、伝統知の再発掘が不可欠です。幸いにも、農学部には里山をフィールドとする生態学も、有用物質を探索する生化学も、そして伝統生活を取材する社会科学の分野も揃っています。これらが結集して有用な物質を掘り出せたら、それもまた里山復興の一助となるでしょう。森に住む先住民の生活をみた欧米人は「森はデパート」と表現しましたが、里山も「ドラッグストア」になるかもしれません。案外、カラスの撃退薬が見つかるかも。ピカピカの鋼(はがね)に塗って、三千世界のカラスを退けたい。

(山形大学農学部教授 専門はブナ林をはじめとする生態学)

イチョウの木に架けられたカラスの巣/酒田市=自然写真家・斎藤政広(2011年2月25日撮影)
イチョウの木に架けられたカラスの巣/酒田市=自然写真家・斎藤政広(2011年2月25日撮影)



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