2011年(平成23年) 6月17日(金)付紙面より
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遊佐町の吹浦小学校(安藤宏和校長、児童98人)に新プールが完成し15日、プール開きが行われた。早速、子供たちが初泳ぎ。辺り一面に歓声が響き渡った。
同校は2007年度に移転新築。ただプール整備は後年度に回され、ここ4年間は北東に300メートルほど離れた旧校舎のプールを使っていた。その後、10年度事業での整備が決定。昨年10月末に新プールが完成した。
25メートルプールで、幅10メートル、水深0・9―1・1メートル。幅3メートル、長さ12メートルで水深0・7メートルの低学年用補助プールを併設したほか、温水シャワーや男女それぞれの更衣室とトイレを設けた。総事業費は約8500万円。
この日は、全校児童がプールサイドで見守る中、式典。時田博機町長らがテープカットした後、児童代表の高橋かおりさん(6年)が「念願の新しいプールができた。とてもうれしい。今年1年でお別れだが、一生懸命練習してベストの記録を出せるよう頑張る」と決意を述べた。
安藤校長、時田町長のあいさつに続き、児童4人が模範泳法。それぞれクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライを披露し、拍手を浴びた。その後、初夏の強い日差しを浴びながら児童たちが初泳ぎ。6年生が1年生を背負ってプールの中を歩いたり、そのまま水に潜ったりするたびに大きな歓声が上がった。背泳ぎの模範を見せた鈴木竣介君(5年)は「泳いでいて、とても気持ち良かった」と笑顔で話していた。
2011年(平成23年) 6月17日(金)付紙面より
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鶴岡市の慶應義塾大学先端生命科学研究所(冨田勝所長)が、ノーベル賞級の世界的な研究者を目指す高校生を特別研究生として受け入れる新たな教育プログラム「鶴岡発ノーベル賞級博士育成プロジェクト」をスタートさせた。15日に1期生となる鶴岡南高生6人の「入学式」が同市覚岸寺の鶴岡メタボロームキャンパスで行われ、生徒たちが夢への第一歩を踏み出した。
同プロジェクトは、「受験のための勉強に明け暮れる日本の教育システムでは、世界と勝負できる人材は育たない。若いうちから最先端の研究に携わり、熱中してほしい」という先端研の理念の下、鶴岡南高校(田中芳昭校長)と連携して企画。今年4月、同校の全校生徒を対象に公募し、1年生3人と2年理数科3人の計6人が冨田所長の面接を経て、全員合格した。
先端研は2009年から鶴岡中央高生を研究助手に採用し、若い人材からバイオサイエンスの最先端に触れてもらっている。一方、今回のプロジェクトの特別研究生は、スタッフのアドバイスを受けながら自分の研究テーマを探り、計画を立案。試行錯誤をしながら研究を実際に進めることが特徴となっている。
特別研究生は、放課後や夏休み期間などを利用しながら先端研に足を運び、実験器具などを使って研究を進める。研究費などは先端研が負担する。
この日の入学式には特別研究生6人全員と鶴南高関係者、先端研スタッフ、保護者など約25人が出席。はじめに冨田所長が「少子高齢化による人口減少に加え、新興国が台頭する中、日本が生き残る道は知的産業の振興。若いうちから本格的に最先端科学を学んでほしい」と激励し、6人に受け入れ証を手渡した。
同校1年の安達景都さん(15)は「最先端技術の中で研究できることは幸せで、気合が入る。好きな化学で人の役に立てるような研究を進めたい」と意欲を見せ、早速スタッフと研究テーマやスケジュールを打ち合わせていた。
先端研は来年度以降、他高校からの受け入れも検討しているという。
2011年(平成23年) 6月17日(金)付紙面より
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雇われているのはどっち? 小山 浩正
農学部の同僚である江頭宏昌さんの在来作物にかける情熱とフットワークにいつも舌を巻いています。伝統継承にかける獅子奮迅の活躍ですが、何よりご自身が楽しんでいるようにお見受けします。どこまでが仕事で、どこまでが趣味なのか。そんな野暮な仕分けは、おそらくご本人にはないのでしょう。自ら望む行為が他人(ひと)のためにもなる。そんな幸せな関係を私たちは自然界でも見かけます。
例えば花と虫の関係。トチノキは小さな花を房状に連ねてマルハナバチを招きます。機会があれば花をよくご覧になってみてください。黄色い斑点と赤い斑点の花が見つかるはずです。それは蜜標と呼ばれるマークで、黄色い花はまだハチの訪問を受けておらず盛んに蜜を作っていますが、受粉が終わると赤くなって蜜も出さなくなります。つまり、蜜標の色でハチに報酬の有無を知らせ、訪花が必要な花へ巧みに誘導しているのです。もちろん、それはハチにも有り難い情報です。まるで「空車」と「満車」の信号で車を誘導する駐車場のようで、見方次第ではトチノキがハチを操っているかのごとくです。
一方、同じ動物を雇うにしてもドングリはもっと際どいやり方で命をつなぎます。ご存じのように、ネズミやリスが冬に備えてあちこちに運んでは埋め、それが食べ損なわれた場合にのみ芽生える権利を得ます。運び屋を雇う代償として犠牲が出るのは覚悟の上。身を削った春の迎え方と言えるでしょう。
そして、ついに今年もまばゆい初夏をむかえました。山の頂から庄内平野を見下ろせば、ことごとくが水田で埋め尽くされた鏡張りの万華鏡。水面(みなも)の乱反射に目を細めながら、私はいつも先人の偉業に感嘆するのです。昔、水稲技術を携えた人々が広大な土地を伐り開き、水を引き、育種改良を施しては巧みに稲を導きながら育んだ穀倉の海原…
でも、ちょっと待ってください。それは大いなる勘違いで、巧みにやっているのはむしろ稲の方かもしれません。なにせ、私たちは毎年彼らのタネを播いては丁寧に植えてやり、ライバルの雑草や天敵も追い払って、栄養状態まで心配しているのです。奉仕しているのは我々なのでは? 庄内平野は赤川の氾濫原で、元はハルニレやヤナギの森が広がっていたはずですが、今はすっかり田んぼです。ヒトが望んでそうしました。しかし稲から見れば、人間という賢い重機を操って自分たちのニュータウンを造成させたとも言えます。「こっちが食っているのだから操られているわけがない」ですって? だけど、ドングリだって同胞の多くが食われることを承知でネズミを操っているのです。残された種籾が翌春に命をつなぐのと何ら違いがありません。ネズミがドングリに使われているのに、私たちが稲に雇われていないと言い切れるでしょうか。
そう考えると、庄内の在来作物は江頭さんをはじめとする最良・最強の人々を雇って復活しつつあると言えます。かくいう私も、ブナの忠実な下僕(しもべ)として、しゃかりきに働かされています。幸せだなぁ。
(山形大学農学部教授 専門はブナ林をはじめとする生態学)