2013年(平成25年) 5月11日(土)付紙面より
ツイート
コーボー・サミット 小山 浩正
赤川を河口から遡って梵字川と分かれる地点まで、両岸にある神社や祠を探し回ったことがあります。大小あわせて70くらいを見つけましたが、ほとんどが大木の木陰で見つかります。だからすぐに鼻が利くようになって、遠くからでも巨木を手がかりに簡単に探せます。治水技術のおかげで出水の脅威はかなり減りましたが、昔の赤川は手強い暴れ川だったはずです。そんな川の側にも関わらず巨木が残っている所は、それだけ長いこと被害がなく安全だった証です。だから「氾濫しそうになったら、あの木へ逃げろ」という目印になり、それがいつしか信仰となっていっても不思議はありません。仙台には昔の津波が到達した境目に「浪分神社」が建てられています。三陸にも同様の石碑が点在するそうです。同じような考え方が氾濫原でも根付いたのではないでしょうか。
一般に、こうした河岸の社には水神の代表格である金比羅(琴平)が祀られますが、治水の代名詞である弘法大師の祠もかなりあります。ところが、庄内では弘法さんが対岸に行きたいと頼んだのに舟を出してくれなかったので、腹いせに呪文で川を氾濫させたという伝説が残っています。仏道を究めた人にしては大人気ないし、そもそもそんな法力があるなら舟が無くとも渡れるでしょ?とツッコミたくなりますが、平凡な聖人伝説より断然面白い。その弘法さんが六十里越を訪れて、途中腰掛けて清水を飲んだと伝えられる「柳清水」では、食事の後に箸を地面に刺したら芽吹いて育ったというヤナギの木があります。
実は、私たちも野外調査で弁当の箸を忘れると、やはり辺りの小枝を折って調達します。ヤナギは再生力が強く、自然に落ちた枝から繁殖することもあるし、伐り集めた小枝を地中に埋めて林を造る「埋枝工」という技法もあるくらいなので、急ごしらえで調達した箸がヤナギだったのなら、刺した枝が根付くのは全くあり得ない話ではないのです。少なくともブナやナラでは無理な芸当なので、ヤナギを題材としているところに一分のリアリティーがあり、この民話が樹木の知識に裏打ちされたものであることを物語っています。先日尋ねた戸沢村にも、同じく箸に使った枝から育ったという天然記念物のヤナギがありました。興味深い一致です。
弘法にまつわる面白い話がこんなに揃っているのだから、庄内の話題作りに使えないだろうか?とある同僚に話したら「弘法大師なんて全国に伝説があるから、それでは売りにならないだろうよ」と言われました。確かにそうですね。だったら「弘法サミット」はどうでしょう?全国から募って「弘法さんはうちの街でこんな事やった」と自慢しあうのです。密教界のスーパースターの意外な奇行がたくさん暴かれそうでワクワクします。守護聖人なのに川を氾濫させた庄内の弘法さんは、その中でも金メダル級ではないでしょうか。
(山形大学農学部教授 専門はブナ林をはじめとする生態学)