2015年(平成27年) 12月6日(日)付紙面より
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鶴岡市立羽黒第四小学校(河井伸吾校長、児童24人)へ40年間にわたって図書費を贈り続けた「鶴岡のおじさん」が4日、同校を訪問し児童たちと交流した。来春に同校が羽黒三小と統合し広瀬小学校となることを受け、「一つのけじめとして」と子供たちの前に姿を見せた。
羽黒四小に図書費を贈り続けていたのは、旧羽黒町黒瀬地区出身で現在は仙台市在住の金野昭治さん(68)。金野さんは旧広瀬小(現羽黒三小)、広瀬中(現羽黒中)出身で、父親が早く他界したため中学を卒業後に集団就職しようと考えていたが、旧羽黒町で行われていた育英資金で鶴岡工業高に進学、卒業した。
社会人になってからの1973年、旧羽黒町青年団の夏キャンプの会場が羽黒四小で、たまたま校内を見学したところ児童向けの図書があまりにも少ないことに驚いた。かねてから「地域から受けた恩を地域に返したい」と考えていたこともあり、羽黒四小への支援を決めたという。
同校への送金を始めたのは翌74年4月からで、当時28歳だった。「社会から受けた温かい恩に少しでも報いたい」という手紙とともに現金2000円を送った。封書の裏には名前は書かず、旧羽黒町に住んでいたが「鶴岡市」とだけ記した。
以降、毎月5000円前後、夏や冬のボーナス期には1万円を送金し続け、年間の合計で10万円ほどになることも。その後、姉から同校で金野さんを「鶴岡のおじさん」と呼び、毎年11―12月に「おじさん祭り」として児童同士が寄付金で購入した本の読み聞かせや、児童たちの想像による「おじさん似顔絵」展示などが行われていることを耳にしたが、「子供たちの夢が壊れてしまうかもしれない」と名乗り出ることはなかった。
98年に仙台市へ住所を移した後も送金は続いた。寄付金で購入した本は今年3月までに1400冊ほどになった。金野さん自身が年齢を重ねたこともあり、送金が50年目となった時に子供たちに名乗り出ようと考えていた矢先、羽黒四小の統合を知り「寄付行為に一つの区切りを付けよう」と今回、名乗り出ることにした。
金野さんは今年3月、羽黒四小に手紙で連絡し素性を明らかにするとともに、「10月に児童たちが発表する『全校オペレッタ』を見に行く」と約束。同10月17日に初めて児童たちの前に姿を現し、オペレッタを観賞した。
4日、同校では恒例の「おじさん祭り」が開催され、金野さんもこれに参加。午前中は3年生以上の児童15人に講話し、「『夢は希望を、希望は目標を、目標は努力を生む』という言葉がある。逆に努力しなければ夢も希望も生まれない。自分は幼い頃に地域から受けた恩を返すという夢のため、羽黒四小の児童たちに夢を与えるという希望、図書を充実させるという目標を立て、手紙を書くなど行動して努力した」と語り掛けた。
児童たちと一緒に給食を食べた後、午後から全校児童との交流会が行われた。金野さんは、児童たちが互いに面白かった本を紹介し合う様子を見学し、わが子の姿を見るように目を細めた。質問コーナーなどの後、児童代表が金野さんに感謝の手紙と花束を贈呈。児童全員で「ビリーブ」を歌い、感謝を伝えた。
金野さんは「皆さんの心に胸がいっぱい。羽黒四小は来年閉校するが、統合後は図書が充実すると聞いて安心した。夢や希望のために努力することが大切ということを伝えられたのなら、おじさんの夢と目標はかないました」と語った。
同校6年の丸山真白さん(11)は「優しそうで足が長い、本当に“あしながおじさん”と思った。自分と一緒で英語を勉強中と聞いてうれしくなった」、94年に同校を卒業した宮川千春さん(33)は「在校時、眼鏡を掛けていると想像しておじさんの似顔絵を描いた思い出がある。40年も羽黒四小のことを思い続けてくれたことに感謝したい」と話していた。