2017年(平成29年) 5月3日(水)付紙面より
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酒田市松山地域で1日、中山神社祭典(通称・松山まつり)が繰り広げられ、いずれも市無形文化財に指定されている、城下町・松山の歴史を現代に伝える「武者行列」と「松山藩荻野流砲術」の演武が市内外から訪れた祭り客を魅了した。
同神社は庄内松山藩初代藩主・酒井忠恒公(1639―75年)を祭っている。武者行列は忠恒公のみこしが藩内を巡る際、警護の藩士が練り歩いたのが起源とされ、江戸時代中期の宝暦年間(1751―63年)から250年余にわたって続いているとされる。1986年に旧松山町が無形民俗文化財に指定した。
今年の行列には、同神社の氏子や地元・東部中の生徒ら100人余が参加。一行は午後1時ごろに同神社前を出発。太鼓の音に合わせ、かみしも姿の武者を先頭に、鉄砲組や弓組、足軽組、馬に騎乗した行列奉行、侍大将らのよろい武者が歴史公園や仲町など中心部約4キロを3時間ほどかけて練り歩いた。
沿道には、大勢の祭り客やアマチュア写真家が待ち構え、迫力ある歴史絵巻を堪能していた。
砲術演武は午前11時から松山歴史公園多目的広場で行われた。
荻野流砲術は、より実戦向きの流儀とされる。松山藩士の山本丈右衛門(生年不詳―1833年)が1808年に免許皆伝を受けて藩内や周辺に広めた。明治期以降は武者行列の中で演武を披露していたが、火薬使用の規制強化で戦後、一時中断。1990年に町民の間で復活の話が盛り上がり、有志が「松山藩荻野流砲術伝承保存会」を結成。伝統の作法などを研究し98年、松山藩350年祭に合わせて復活。以来、松山まつりなどで披露している。2003年に旧松山町の無形文化財に指定された。
この日は砲術隊員が中筒などを使用し、立って肩に構える「立ち放し」、腰に構える「腰放し」、全員で一斉に放つ「斉射」などを披露。ごう音とともに白煙が立ち込め、詰め掛けた行楽客たちは歓声を上げていた。