2020年(令和2年) 6月24日(水)付紙面より
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即身仏として鶴岡市大網の注連寺に安置されている「鉄門海上人」(1759―1829年)に関し、庄内酒田古文書館長を務める地域史研究家、杉原丈夫さん(74)=酒田市みずほ一丁目、酒田古文書同好会長=が、主として北庄内地域で「鉄門海」「鉄門上人」と記された石碑の調査を行い、研究論文「近世後期宗教家の石碑と社会的事業について」をまとめた。杉原さんは「石碑が存在する地点と年号を結び付けることで、鉄門海がいつごろ、どこで布教・救済活動したかが見えてくる」と話している。
鉄門海は江戸で眼病が流行した際には自らの眼球をくり抜いて終息を祈願した他、加茂坂峠(鶴岡市)の新道工事、遊佐町菅野谷地の新田開発など民衆のために数多くの慈善事業を行った。3年間に及ぶ五穀断ちを経て、1829年に入定し即身仏になった。
杉原さんは元小学校教員で、退職後に山形大大学院社会文化システム研究科で学びを深めて修士課程を修了した。市光丘文庫で古典籍調査員歴任後、古文書館を自宅に開設するとともに、庄内地域で古文書入門教室を開き、広く解読方法を指導している。今年3月、江戸時代の古文書を読み解き、同地域の「孝心者」をまとめた「江戸時代 酒田・庄内の孝心者―きらめき」を上梓した。
杉原さんがまとめた今回の論文で特に興味深いのは、石碑の分布。北庄内地域の54基を含め全国では現在のところ、205基が確認されており、秋田、新潟など近隣県はもとより、遠くは北海道にもあるという。杉原さんは「鉄門海の修行や業績、慈善活動の事実を石碑や古文書を通して検証しつつ、人々にどのような働きかけを行ったか探求していく必要がある。鉄門海の研究は当時の時代背景を把握する上で意義深い」と記述している。
一方、調査の過程で訪問した「鮨処 朝日屋」(鶴岡市鼠ケ関、佐藤丈典さん経営)では、「文政三庚辰年」(1820年)の年号が入った岩崎村(現・新潟県村上市)の旧家に伝承されていた祈とうに関する古文書、手形入りの掛け軸、愛用したとされる錫枝(しゃくじょう)といった鉄門海の遺品との出合いもあった。「特に古文書は、新潟県での信仰の広がりを読み解くことができる貴重な史料」(杉原さん)という。
杉原さんは「今回の調査で初めて新潟県まで足を運び、今後の研究活動が見えてきた。鉄門海に関してはまだまだ新たな発見が期待できる」と話した。杉原さんによると、今回の論文は山形史学研究会誌「山形史学研究」に投稿済みという。論文に関する問い合わせは杉原さん=電0234(23)4163=へ。
2020年(令和2年) 6月24日(水)付紙面より
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7月7日の七夕を前に、酒田市地域共生課国際交流サロン(阿部愛子企画運営委員長)主催の「外国出身者のための七夕まつり」が21日、酒田市中町三丁目の交流ひろばで開かれた。中国、ベトナム、フィリピンなどから日本へ移住した16人が参加し、子どもから大人までの市民らと一緒に七夕飾りや短冊作りを楽しんだ。
この日は初めに、和服姿の佐藤万里子講師(装道礼法きもの学院)から七夕飾りの由来やしきたりの話を聞いた。「投網は食べ物に困らないように、着物は着る物に困らないように、巾着はお金に困らないように」など、一点一点の飾りに意味や願いが込められていることや日本の暦では奇数がめでたいことなどを学んだ。その後参加者は思い思いの色紙で飾りを製作し、出来上がった七夕飾りは笹の葉に飾り付けられ、涼風を呼んでいた。
ベトナムから来日し5年目のマク・テイ・ミーハンさん(35)は「短冊では日本語教師のキミコ先生の健康をお祈りした。先生はご高齢なので元気で長生きしてほしい」と話した。
2回目となるこの催しは、同市が推進する国際交流事業の一環。外国出身者と日本人が交流する中でお互いの文化に触れるとともに、イベントがないと孤立しがちになる外国人移住者への心配りの意味もあるという。