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2022年(令和4年) 6月3日(金)付紙面より

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屋外で会話なければマスク不要 県が方針

 県は1日、新型コロナウイルスの感染拡大防止に伴うマスク着用について、「屋外では近くで会話をしなければマスクは不要」などの方針を示した。

 先月20日に厚生労働省が示したマスク着用の見解を受け、1日に県庁で行われた定例会見で吉村美栄子知事が発表した。

 吉村知事は「熱中症のリスクや表情が見えにくいことによる小児の発達への懸念などから、屋外では近くで会話をしない場合、マスクは不要。また、就学前の子どもはマスク着用を一律には求めない」と述べた。

 また、県は着用の場面や参考例としてチラシを作成。人との距離が2メートル以上で会話や発声がある屋内での会議や、2メートル未満で会話なしの通勤電車やバスの中、2メートル未満で会話発生ありの屋内、屋外で観光地の人混みやスポーツ観戦では「着用が望ましい」とした。屋内で2メートル以上離れた会話がある会議については、十分な換気など感染対策を行っている場合はマスクを外すことも可とする。

 屋内で自分1人や2メートル以上離れて会話なしの場合、屋外で自分1人の場合、密にならない遊びなど会話や発声はあるが2メートル以上離れている場合、距離を空けたランニングやサイクリング、釣りなど会話がない場合、2メートル未満でも会話がない徒歩通勤や人とのすれ違いなどは「マスク不要」とする。

 一方、学校におけるマスク着用については、屋内は原則的に着用する。ただし2メートル以上離れて会話がない場合は不要とする。屋外は原則不要だが、2メートル未満で会話する場合は着用が望ましい。学校生活でマスク不要の例として、会話をしない状態での登下校や運動、遊びの時、読書などが挙げられた。給食や昼食は黙食を基本とするため原則不要だが、会話する際は着用が望ましい。

 県は作成したチラシを各学校に配布するほか、ホームページなどで県民に呼び掛ける。
 

県が作成したマスク着用についてのチラシ
県が作成したマスク着用についてのチラシ


2022年(令和4年) 6月3日(金)付紙面より

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飛島と北前船の歴史知る貴重な史料 客船帳や軸装新たに見つかる

島内の旅館行李に入れ保管
郷土史研究家・杉原さん「大発見」とさらに調査へ

 江戸・宝暦年間(1751―64年)から近代まで酒田市飛島に出入りした船舶名を記した客船帳3冊、飛島を背景に北前船が描かれた軸装などが新たに見つかった。所持していたのは3年前まで島内で旅館を経営していた澤口與四一(よしかず)さん(75)、正子さん(70)夫妻=同市新橋一丁目。夫妻の依頼を受けて、遠隔地貿易の主役だった北前船に関する著書がある郷土史研究家の杉原丈夫さん(76)=同市みずほ一丁目、酒田古文書同好会長=が現在、「北前船と飛島」をテーマに調査している。與四一さんは「飛島の重要な史料として語り継いでいきたい」と話している。

 北前船の往来で栄え、江戸時代には「東の酒田、西の堺」と称されるほどのにぎわいを見せた酒田。多くの船舶が酒田湊に入港したことについて疑う余地はないものの、相次いだ大火や地震で焼失するなどし、出入りしていた船舶を記載した客船帳はほとんど残っていない。そんな中、杉原さんは、東日本大震災で半壊した同市宮野浦の旧家土蔵を整理した際に見つかったという、1791(寛政3)年から約100年にわたって酒田湊に出入りした船舶名を記した「御客船帳」(光丘文庫所蔵)を基に昨年、「北前船と酒田―北前航路と寄港地」を出版した。

 杉原さんのこれまでの研究によると、飛島には近世―近代、船宿が最大で13軒、明治以降は9軒存在し、それぞれで客船帳を作成していたという。焼失・紛失を免れたものの多くは国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に保存されている。今回見つかったのは、澤口さん夫妻が経営していた「沢口旅館」を合同会社とびしまに引き継ぐ際、旅館物置の中から見つかった行李(こうり)に入っていたもので、客船帳、「弘化2年(1845年)」の年号が入った軸装「羽州飛島風景」、幕末期の英国製皿などがあった。

 客船帳について杉原さんは「船主に苗字が入っているものは明治期以降のもの。長期にわたっていることから飛島と北前船の歴史を知る上で貴重な史料になる」と。そして「同じ船が毎年来ている。飛島は酒田湊の『風待ち港』として活用されていたという文献もあるが、それだけではこれほど多くの船舶は寄らないはず」と話し、その理由として杉原さんは▽館岩や御積島に代表されるよう風光明媚(めいび)な上、スカシユリやトビシマカンゾウが咲くなど、一度は行ってみたいという「楽園」への憧れ▽離島のため幕府や政府から目が届きにくく、密貿易が行われていたのでは―という2つの仮説を紹介した。

 一方、軸装の絵画部分は縦54センチ、横70センチの大きさ。中央に米俵を積んで帆を広げた北前船が大きく描かれ、船上には乗組員の姿も。近景に飛島の集落、遠くには日本海に沈む太陽、行き交う北前船も記載。年号とともに「小鳩鱗斎筆」という名前があり、杉原さんがこの人物について調査している。「色彩ははっきりしないものの、幕末期における飛島を詳細に描いており貴重。北前船が描かれた絵馬はよく見かけるが、掛け軸はない。大発見」(杉原さん)という。

 正子さんは「客船帳には全国各地の地名が書かれており、当時の島民の博識ぶりが分かる。その上、字もきれい」と。與四一さんは「父からは『大事なものなので大切にしろ』と常に言われていた。貴重なものとは知らずに軽い気持ちで保管していたが、今後は大切に管理していきたい」と話した。

澤口さん夫妻が所持していた客船帳や英国製皿など
澤口さん夫妻が所持していた客船帳や英国製皿など

飛島を背景に北前船が描かれた軸装を解説する杉原さん
飛島を背景に北前船が描かれた軸装を解説する杉原さん



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