2023年(令和5年) 2月1日(水)付紙面より
ツイート
北前船の交易が庄内地方にもたらした食文化を表現した「船頭北前御膳」が、2月13日の「日本遺産の日」から鶴岡市立加茂水族館レストラン「魚匠ダイニング沖海月」で提供される。飽海地域史研究会(小野寺雅昭会長)と沖海月の須田剛史料理長が連携して考案したもので、酒田の豪商・本間家が江戸時代に新造船の進水を祝って船頭らに振る舞った料理をベースに、交易で多様な文化が融合した庄内ならではの“北前料理”に仕上げた。
水族館「沖海月」で
本間家4代当主・光道(こうどう)は、ロシア船の侵入を受け幕府が庄内藩に出兵を命じたのを機に、蝦夷(えぞ)地との交易を活発にしようと1808(文化5)年、「本間船日吉丸」を新造した。酒田市史には、この祝いの席で町役人や船頭、船大工らに御膳を振る舞ったことが記されている。 北前船では敦賀(福井県)の船頭が酒田湊に入り、禅寺にまつわる文化も伝えられたとされる。同研究会は、北前船の船頭らによって酒田に伝えられた食文化を発信し、観光振興につなげる取り組みを進めている。
船頭北前御膳は13品。メニューは本間家が振る舞った御膳からニシンと孟宗(もうそう)の煮物やマダイの刺し身、北前船でもたらされたとされる「むきそば」、禅寺の「ごま豆腐」「永平寺釜揚げそば」、江戸時代に庄内藩主酒井家が将軍家に献上したと記録が残る塩鱈(しおだら)にちなんだ「鱈汁」、貴重な交易品だった紅花を使った「鱒(ます)の紅花押(おしずし)寿司」などで構成している。
関係者を招いた試食会が29日、同レストランで開かれ、須田料理長が「庄内には北前船が運んださまざまな文化と、大名の酒井家がもたらした武家文化が融合している。御膳には、そうした融合を表現した」と説明。小野寺会長は「どれも手が込んでいて丁寧に調理され、とてもおいしい。一品一品に北前船にまつわるストーリーがあり、料理を通じて歴史に触れてほしい」と話した。
船頭北前御膳は3300円(税込み)で、予約が必要。通年提供する。問い合わせは沖海月=電0235(64)8356=へ。
2023年(令和5年) 2月1日(水)付紙面より
ツイート
昨年12月31日に鶴岡市西目で土砂災害が発生してから1カ月が経過した。2人の犠牲者を出したほか、現在も4世帯13人が避難指示を受け、市営住宅などで過ごしている。1月中には同地区の崩壊した斜面周辺で、学識経験者や国土交通省の土砂災害専門家による2回の緊急調査が行われた。いずれも「崩壊した斜面や周辺の地質は相当風化が進んでおり、さらなる崩壊が起こる可能性は十分にある」といった見解が出された。調査の進捗(しんちょく)や避難世帯、所有財産の被害があった住民への支援、周辺住民の不安の声などをまとめた。
土砂災害が発生したのは昨年12月31日午前0時55分ごろ。民家2棟を含む17棟が巻き込まれ、一部が倒壊した。住宅1棟の住人2人は救助されたが、隣家に住んでいた80代男性と70代女性の夫婦は2日朝、遺体で発見された。
1カ月が経過した現在、雪が降り積もった現場では複数の建物が傾いたり、土砂に埋もれたりしたままとなっている。
現在、市営住宅で避難生活をしている50代男性は「仮の住宅での生活がどのぐらいの期間になるのか、先が見えないのが一番の不安。なるべく早く自宅に戻りたい」と話す。また、西目大荒協議会の佐藤茂会長は「西目地区で避難指示を受けていない住民の中からも『自分の家周辺は土砂崩れの心配はないだろうか』という不安の声が聞こえてくる」と述べた。
専門家の現場調査「地質風化の進行」指摘
一方、元日本地すべり学会長で山形大学名誉教授の八木浩司氏が1月5日に、国土交通省国土技術政策総合研究所の秋山一弥深層崩壊対策研究官が同20日にそれぞれ現場入りし、災害が発生した斜面や周辺の調査を行った。
2人は共通して「地質の風化の進行」を挙げ、崩壊箇所の西側斜面も含め「幅220メートル、高さ30メートルの範囲で再び崩壊する可能性がある」と指摘。不安定な土砂の撤去やボーリングによる地下水圧の計測、地滑りや亀裂の拡大など地表の動きを観測する伸縮計の設置などを県、市へアドバイスした。
専門家の助言やボーリング調査の結果を基に、県は2月中旬にも緊急対策工事を開始する。市防災安全課は「土砂に埋もれている家屋や農機などの市民財産を発掘するには、二次災害を防ぎ作業員の安全を確保するための対策工事が必要となる。県と連携しながら西目地区の復旧、復興に取り組んでいく」と話している。
2023年(令和5年) 2月1日(水)付紙面より
ツイート
第29回東北ニュービジネス大賞(東北ニュービジネス協議会主催)の表彰式が27日、仙台市のホテルメトロポリタン仙台で行われた。本県関係は3社が入賞し、このうち庄内関係は慶應義塾大先端生命科学研究所発のベンチャー企業・サリバテック(鶴岡市、砂村眞琴CEO)が革新的技術開発賞に、小売業のチャンピオン(酒田市、高橋芳秋社長)が奨励賞にそれぞれ選ばれた。
サリバテックは唾液中の代謝物を分析し、がんのリスクの早期発見につなげる事業に取り組んでいる。同社が受賞した革新的技術開発賞は、秀でた技術開発力で革新的な製品・サービスを世に送り出し、東北産業界の発展に寄与した個人や企業に贈られる。
また、奨励賞を受賞したチャンピオンは、買い物が不便な地域とホームセンターをオンラインでつなぎ、買い物を楽しんでもらうための支援システムを構築した。このほか本県からは東根市の東根農産センターが奨励賞を受賞した。
表彰式には砂村CEO、高橋社長が出席し、それぞれ表彰状を受け取った後、受賞スピーチを行った。
東北ニュービジネス協議会は1988年設立。現在の会員数は約350法人・個人で、東北地域の産業・経済発展、地域社会貢献を目的に、さまざまな異業種間交流やビジネスマッチング事業を展開している。ニュービジネス大賞は93年にスタートし、東北地域の企業経営者、起業家が取り組む新ビジネスの優秀性などを総合的に評価し、顕彰している。
2023年(令和5年) 2月1日(水)付紙面より
ツイート
庄内には「公益の気風」が流れていると、このところ本紙の記事を読んで感じる。鶴岡市鳥居町の内川に架かる「禅中橋」のたもとの偉人の顕彰碑のさい銭箱に、市民の善意が集まった。その金額は大きくはないが、善意を寄せた人々の心こそ公益。善意は「子ども食堂」の支援に充てられる。
庄内は「公益の故郷」ともいわれる。地域があって自分がある、故郷を大事にしなければならないという精神であろう。公益に足跡を残した人物の名と功績を挙げれば切りがない。昔であれば庄内砂丘にクロマツを植林した本間光丘が、現代では多方面の社会貢献に私財を投じた平田牧場グループ会長の新田嘉一氏がいる。公益は庄内が誇れる遺産であろう。
◇ ◇
禅中橋の話である。現在の鳥居町と大東町の間の内川は、昔は渡し船が唯一の往来の手段。不便を見かね、53歳で家業を長男に譲って僧侶になった禅中和尚は托鉢(たくはつ)で資金を集め、82歳で亡くなる前年の文政3(1820)年に橋を完成させた。感謝した住民が禅中和尚の功績をたたえる石碑を建て、後にさい銭箱が置かれて善意が積み重ねられた。
似たような公益が鶴岡市の加茂坂でもあった。鉄門海和尚は藩政時代に加茂の山を切り開く作業に着手、その遺志を鉄竜海和尚が受け継ぎ、明治初期に山越えの加茂新道を造った。加茂港から商業物資や新鮮な魚を城下に運ぶのに、山越えは難所だった。鉄門海和尚らはその難儀ぶりに“身を棄てる”ような覚悟で山を切り開き、後の「加茂坂トンネル」につながった。
現代の公益の一例である。禅中和尚や鉄門海和尚らの取り組みとは形は違うが、鶴岡市の羽黒高校の生徒が「羽黒山杉並木の保全に役立ててもらおう」と、クラウドファンディング(CF=不特定多数の賛同者から資金を集めること)で呼び掛けたところ、目標を上回る約115万円の支援金が集まった。生徒は探究学習で学び、地域の遺産を守りたいと立ち上がった。これも公益であり、呼び掛けに賛同して支援金を寄せた人々も公益の一員だ。
◇ ◇
3月25日に再オープンする「鶴岡まちなかキネマ」の取り組みにも、CFで目標の1・7倍の約1020万円が寄せられた。映画という「文化」は残さなければならない。そう願う多くの人々の心の根源には公益が息づいているのではないか。
酒田市に「東北公益文科大学」ができたのも、庄内には公益の気風が流れているという背景がある。公益とは「世のために」という気持ちの表れであろう。公益に尽くしたと語られる秀でた人は多い。一方で本紙記事を見ればボランティア活動などによる、小さな積み重ねがずいぶんとある。そのどれもが公益の精神がなければできない活動。庄内の素晴らしさだ。
2023年(令和5年) 2月1日(水)付紙面より
ツイート
鶴岡市の致道博物館(酒井忠久館長)で「新収蔵品展」が始まり、この5年間で同館に寄贈された美術品を展示している。
収蔵品展は、1950(昭和25)年に致道博物館が開館して以来、庄内の歴史や民族、美術工芸品を後世に伝える活動に理解を示した人たちから寄贈されたものを公開している。今回は平安時代末期から現代までの刀工が手掛けた刀剣や、明治から大正にかけて活躍した庄内ゆかりの画家が描いた油絵など約40点を集めた。
学芸員によると、刀に竜が緻密に彫られているのが特徴とされる、刀工・盛光(もりみつ)作の「黒漆塗脇指拵(くろうるしぬりわきざしこしらえ)」(室町時代)や、庄内金具彫刻の第一人者・桂野赤文が手掛けた「黒呂色塗脇指拵(くろろいろぬりわきざしこしらえ)」(江戸時代前期)が貴重という。このほか、現在も山形市で刀づくりに精を出している上林恒平氏の作品も展示されている。
絵画では、金峯山9合目の「八景台」から見た鎧ケ峰と母狩山を描いた鶴岡出身の石川淡僊(たんせん)(1848―1925)の油絵も紹介され、訪れた人たちの関心を集めている。
展示は3月12日(日)まで。時間は1―2月が午前9時から午後4時半。水曜日休館。3月からは午前9時から午後5時までとなる。休館なし。受け付けはいずれも閉館30分前まで。