2024年(令和6年) 9月11日(水)付紙面より
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人が減る事は、そのまま文化の継承に響くということを突き付けられる思いだ。同時に、何とかして将来に残すことはできないものかとも。鶴岡市温海地域の戸沢地区に伝わる「戸沢花胡蝶歌舞伎」が、今年8月の公演を最後に幕を閉じた。「歌舞伎にこだわっていては“村社会”の存続にまで影響する。先人たちに申し訳ないが区切りをつけたい」という、苦渋の選択からだ。
社寺仏閣や美術工芸品などの「有形文化財」と異なり、民俗芸能のように人手があってこそ成り立つ「無形文化財」は、人間そのものが「文化財」となって代々継承されてきた。一つの出し物を演じるには役者や裏方まで大勢が関わる。人口減少はそうした「技」の継承を難しくしている。
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戸沢花胡蝶歌舞伎の起源は定かでない。隣の集落で約300年前から伝承されている山五十川歌舞伎とほぼ同じ歴史があるとされ、現存する台本には江戸後期の弘化元(1844)年の演目もある。素朴な芝居だが、お盆に合わせて例年8月16日に演じられることで「供養歌舞伎」とも呼ばれる。自治会が人から人へと“手渡し”のようにして受け継いできた。
農耕民族の日本での伝統行事・芸能は、神を敬い収穫の感謝を表す神事として受け継がれているものが多い。そうした中で、戸沢花胡蝶歌舞伎は、座長を失って解散した旅の歌舞伎一座の道具が同地区に残され、住民が受け継いで歌舞伎を演じるようになったという説、戸沢地区に隠れ住んだ平家の落人の供養で演じられたなどの起源説があるが、はっきりしない。
戸沢地区は61世帯、約170人が住んでいる山間集落。同地区の戸沢花胡蝶歌舞伎は「太閤記」「義経千本桜」「源平盛衰記」など60を超す演目を受け継いできた。芸だけでなく、衣装や小道具などの維持管理も容易なことではない。小さな集落ではそれらに要する費用を賄うことも課題であったと思われる。そして何よりも人手である。
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文化が、時代の流れとともに少しずつしきたりや形態を変えながら受け継がれる事は受け入れられる。しかし、担い手がいないことで将来への継承を閉じなければならなくなった。最後の公演の折、「先人や諸先輩に休演することを心からおわびする」という自治会長の言葉に、地元の無念さが凝縮されている。
伝統文化を受け継ぐ。他地域からの応援を得るような、関係人口を確保することで伝統を維持しているケースもある。戸沢花胡蝶歌舞伎はコロナ禍で休止し、5年ぶりの公演になったが、休止の間も住民は伝統の維持を心掛けてきたに違いない。人が減ることは、これまでの地道な努力までも消し去ってしまう。一集落の財産としてでなく、市全体の財産として受け継いでいくような方法を探れないものだろうか。